2013年5月24日金曜日

リチャード・ボウカム講演会のご案内

この読書会はN.T.ライト教授専門ですが、同じ英国にあって新約聖書学の碩学としてリードしてきたリチャード・ボウカム先生の来日講演をこの場を借りてご案内したいと思います。 

ボウカム先生はセント・アンドリュース大学新約学教授ということではライトの前任者です(2年あいだが空きますが)。ライトとボウカムは、今でも頻繁に連絡を取り合う、良きライバルであり盟友でもあります。 

リチャード・ボウカム講演会 

テーマ: 「Gospel Traditions: Anonymous Community Traditions or Eyewitness Testimony?(福音書伝承:無名の共同体によるのか、それとも目撃者によるのか)」 

日時: 2013年6月17日(月)午後5時より 
場所: 日本聖書神学校
161-0033 東京都新宿区下落合3丁目1416 
(目白駅より徒歩10分) 
主催: 聖書学研究所 
入場料: 無料 

通訳はありません。 
研究所に関係ない人でも大歓迎だそうです。 
当日のレジュメが出来上がっています。参加希望の方にメールで配布しますので以下の連絡先までお知らせください。
連絡先:(小嶋崇、コジマタカシ) t.t.koji(アットマーク)gmail.com 

 さて、「N.T.ライトFB読書会」のメンバー間で活発な意見交換があり、この講演会に合わせてちょうど良いディスカッションがありましたので、その時の議論のエッセンスをまとめ、読書会からの投書と言う形で紹介させていただきます。
 
 このたび三度目の来日をされるリチャード・ボウカム博士の『イエスとその目撃証言者たち』は、この数十年で最も重要な聖書学の本だったと、後世評価される可能性を秘めた本です。これが深く理解されるならば、日本にも革命的なインパクトをもたらすでしょう。

 ここ数百年の新約聖書学の一つの方向性は、『福音』の再定義にあったとさえ言えます。つまり『福音』とはイエスが宣べ伝えた「この世界への神の王国(支配) の到来」ではなく、パウロ神学を実存的に理解した福音(「今ここで、信仰の決断をすることで、あの世の天国への道が拓かれる」)という、神の国がこの世界 に突入してくるという福音の理解の仕方とは正反対の、ベクトルが逆方向に向かっている『福音』へと再定義がされていったように見えます。

 こうしてパウロ書簡の神学的重要性が増す代わりに、イエスの言動を伝える四福音書は軽視される傾向にありました。これは「様式史批評」を突き詰めていった 必然的な結果なのかもしれません。なぜなら、この批評学の導き出した結果とは、「イエスが本当は何を語ったのか、わたしたちには分からない」というもの だったからです。福音書に描かれるイエスは、もはやイエスの言動を正しく伝えたものとは見なされず、「原始キリスト教徒の信仰の投影」であり、福音書は単 なる彼らの信仰告白に過ぎないと言う結論が導かれてしまいました。

 こうして福音書の中心テーマである、イエスの「神の王国のおとずれ」という使信はぼやけ、「神の王国」とは何なのか?という定義も曖昧にされ、実存的信仰 告白、「今ここで、からっぽの手を神に差し出す」というようなエモーショナルな告白をすること(を促す)ことばかりに福音伝道の力点が置かれていった面が ないとはいえないかもしれません。

 ブルトマンは「パウロは歴史のイエスに何の関心もなかった」と言い残しました。私たちもイエスの福音を「私(だけ)のために死んでくださったキリスト」と してのみ理解し(これはもちろん福音の本質的な部分ですが)、イエスが復活後も教え続けた「神の国」(使徒言行録1:3)への関心を持たないなら、それは 結果的にブルトマンの発言を追認していることにならないでしょうか。

 ボウカムの「イエスとその目撃証言者たち」は様式史批評そのものに厳しく批判を加え、その信憑性に大いに疑問を投げかけます。同時に「福音書のイエスの言葉をもっと真剣に受け止める」よう私たちに要請します。この著者の肉声を聞くことが出来る幸いを感謝したいと思います。
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リチャード・ボウカムのHP

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