GFP(God and the Faithfulness of Paul)については
(1)ライトのパウロ研究をめぐる論集
(2)God and the Faithfulness of Paul
で紹介していますが、大分経ちましたが「追記」をしたいと思いました。
(2)God and the Faithfulness of Paul の方で「目次」を全部紹介していますが、その中の「Part Ⅱ」の最後にあるジョエル・R・ホワイトの論文がacademia.eduサイトから読めるようになっている、と先日案内がありました。
筆者はすでにGFPを購入しているので特に必要なわけではないですが、GFPに関心があり、ホワイトの論文のタイトルが「N・T・ライトのナラティブ・アプローチ」ということなので、特に「ナラティブ」「物語り」アプローチに関心のある方にはお勧めと思い追記しました。
Joel R. White, N. T. Wright's Narrative Approach
(2)で紹介したクリストフ・ハイリッヒの指摘にあるように、ライトのPFGは「教会論」とか「救済論」とか「従来の組織神学的」枠組を用いず、「世界観」や「ストーリー」を使ってパウロを解釈している点で注意深く読むことが必要です。
ホワイトの論文はその辺りのナラティブ・アプローチの基本的な事柄を丁寧に解説し、ライトのナラティブ・アプローチの斬新さを理解させようとしている点で有益だと思います。一読をオススメします。
N.T.ライトは英国の新約聖書学者、元ダラム大聖堂主教(2003-2010年)です。ライト読書会は2007年スタート。ブログの目的は読書会とライト関連情報を素早くアップすること。
2018年4月29日日曜日
2017年1月17日火曜日
今日のツイート 2017/1/17
前回の「今日のツイート」の続編のような・・・。
やはり、ナラティブに関してです。
人はなぜ(対立する相手の)「道徳的世界観」に対して盲目になるのか・・・は、福音書の場面に置き換えると、イエスとパリサイ人の対立が思い浮かびます。
ライトは世界観の対立をナラティブの対立として分析しますが、全く異質のナラティブの対立ではなく、「(かなりの部分共有する)世界観の解釈を巡る対立」として分析します。
ゆえに、イエスの「たとえ話」は、対立する相手(パリサイ人に限らないと思いますが)が有する支配的な「イスラエルのストーリー」を内側からひっくり返す(subvert)ような解釈、オルタナティブ・ナラティブを提示しているのではないか、という分析になるのだと思います。
まっ、「イエスのたとえばなし」解釈への一つの「窓」として読んでいただければいいかな、と。
やはり、ナラティブに関してです。
"Once [people] accept a particular narrative, they become blind to alternative moral worlds" - @JonHaidt— Preston Sprinkle (@PrestonSprinkle) 2017年1月17日
プレストン・スプリンクルは新約聖書学の人で、2007年にアバディーン大で博士号を取得しています。引用されている社会心理学者ジョナサン・ハイトの言ですが、こう言う本を書いていることからも分かるように、(政治的)意見の対立を心理学的に分析しているようです。
NPP(The New Perspective on Paul) に関しても、分かりやすい「入門的まとめ」記事をブログにアップしています。
人はなぜ(対立する相手の)「道徳的世界観」に対して盲目になるのか・・・は、福音書の場面に置き換えると、イエスとパリサイ人の対立が思い浮かびます。
ライトは世界観の対立をナラティブの対立として分析しますが、全く異質のナラティブの対立ではなく、「(かなりの部分共有する)世界観の解釈を巡る対立」として分析します。
ゆえに、イエスの「たとえ話」は、対立する相手(パリサイ人に限らないと思いますが)が有する支配的な「イスラエルのストーリー」を内側からひっくり返す(subvert)ような解釈、オルタナティブ・ナラティブを提示しているのではないか、という分析になるのだと思います。
まっ、「イエスのたとえばなし」解釈への一つの「窓」として読んでいただければいいかな、と。
2017年1月6日金曜日
今日のツイート 2017/1/6
「今日のツイート」とは
「ナラティブの闘い」に関しては、「大和郷にある教会」ブログでオウム真理教への村上春樹のアプローチとして書きました。
「大和郷にある教会」ブログで常設しているエントリー項目です。このサイトでは去年7月にこのカテゴリーで一つアップしました。今回は「ナラティブ」について。
— T.Katsumi (@tkatsumi06j) 2017年1月5日
ナレーティブという語彙にぴったりする日本語があれば、と思います。特に歴史を語るときには「どの口が喋る歴史か」をきちんと意識する必要があると思いますし、プロパガンダはこのナレーテフィブの乗っ取りですからね。政治や革命はナレーティブの闘いですし。 @tkatsumi06j— 宮前ゆかり (@MiyamaeYukari) 2017年1月5日
ライトの「ストーリー/世界観」に重なるようなツイートです。@MiyamaeYukari 「ストーリー」或いは「物語」でしょうか。いま話題の作家ハラリ氏の『フィクションの共有』という表現が意味するところは、結局どういう「物語」=narrativeを受け入れるかということに尽きると思います。— T.Katsumi (@tkatsumi06j) 2017年1月5日
「ナラティブの闘い」に関しては、「大和郷にある教会」ブログでオウム真理教への村上春樹のアプローチとして書きました。
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