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2017年1月17日火曜日

今日のツイート 2017/1/17

前回の「今日のツイート」の続編のような・・・。

やはり、ナラティブに関してです。
プレストン・スプリンクルは新約聖書学の人で、2007年にアバディーン大で博士号を取得しています。

NPP(The New Perspective on Paul) に関しても、分かりやすい「入門的まとめ」記事をブログにアップしています。
引用されている社会心理学者ジョナサン・ハイトの言ですが、こう言う本を書いていることからも分かるように、(政治的)意見の対立を心理学的に分析しているようです。



人はなぜ(対立する相手の)「道徳的世界観」に対して盲目になるのか・・・は、福音書の場面に置き換えると、イエスとパリサイ人の対立が思い浮かびます。

ライトは世界観の対立をナラティブの対立として分析しますが、全く異質のナラティブの対立ではなく、「(かなりの部分共有する)世界観の解釈を巡る対立」として分析します。

ゆえに、イエスの「たとえ話」は、対立する相手(パリサイ人に限らないと思いますが)が有する支配的な「イスラエルのストーリー」を内側からひっくり返す(subvert)ような解釈、オルタナティブ・ナラティブを提示しているのではないか、という分析になるのだと思います。


まっ、「イエスのたとえばなし」解釈への一つの「窓」として読んでいただければいいかな、と。

2017年1月6日金曜日

今日のツイート 2017/1/6

「今日のツイート」とは
「大和郷にある教会」ブログで常設しているエントリー項目です。このサイトでは去年7月にこのカテゴリーで一つアップしました。
今回は「ナラティブ」について。




ライトの「ストーリー/世界観」に重なるようなツイートです。

ナラティブの闘い」に関しては、「大和郷にある教会」ブログでオウム真理教への村上春樹のアプローチとして書きました。

2015年4月29日水曜日

FB読書会 2015年4月近況

(期待通りに行けば)毎月の報告ですが、

前回、2015年3月近況では、『シンプリー・クリスチャン』の20ページまでカバーしました。

それからの続き・・・。

The Hidden Spring ―Thirsty for Spirituality pp.20-24.
・・・担当は

 The Cry for Justice
 Christians and Justice
に続いてHKさん。(かなりな負担、お疲れ様です。)

(2章は「霊性」の面から、現代西洋に様々な形で姿を現す「霊性のゲリラ的再浮上」現象とも言えるか・・・、を指摘しながら、キリスト教との橋渡しとなるスペースを地均しする。HKさんの訳文を一部引用します。)
このような人生の別の側面に関する急速に増す関心は様々な形をとっている。それは本屋に行って、スピリチュアリティのコーナーに行けば、そのことはすぐわ かる。しかし、そのスピリチュアリティの意味は、理解されておらず様々な名称がつけられており、また、書店ごとにその分類の本の在庫はかなり違っている。 具体的には個人の性格分析の本や、前世輪廻などに関する本まである。仏教徒は悟りの世界を重要視する。この霊性に関する西側社会でのものとしては、カバラ(もともとユダヤ神秘主義の一種がいまはポストモダン世界の呪文)、ラビリンス(中世の祈りのための回廊)、聖地巡礼などへの熱狂までが含まれよう。

 現代の近代社会の中での様々な分野でのケルト風への関心の高まりの背景にこの霊性問題を見ることができよう。 これは多くの人々が西側の教会の公的教会に対して飽き飽きとしている証拠であり、時に怒りを覚える人々もいるだろう。とはいえ、ケルト的キリスト者の中心にあるものは、今日人々が求めているものとはいえないであろう。

と、ライトは「霊性」を巡る西洋社会の現状をスケッチする。


《担当者の感想、そしてディスカッション》から拾ってみますと・・・。

「隠れた泉の残響(霊性への渇き)問題」日本的一例として、オウム真理教
三女アーチャリー、インタヴュー (ブロゴス)

「気配、目に見えないものを感じる」態度(詩人・長田弘)
「風景を生きる」(Eテレ、こころの時代~宗教・人生~ アンコール)

「聖地巡礼」と消費される宗教シンボルの問題
観光と信仰の交差する、現代の聖地巡礼をめぐって


The Hidden Spring ―What Makes Us So Thirsty?; Spirituality and Truth, pp.24-27.
・・・担当はKYさん。

(「霊性の渇き」をどのように橋渡しするか、の「道筋」と「障害」を論じて2章を締めくくる部分。以下、KYさんの要約的訳文引用)
霊性への関心の高まりをどう見るか? クリスチャンには極めて自明である。もしキリスト教のストーリーが事実であれば、つまり神が存在しイエスにおいて最も顕著に知られるのであれば、それこそが霊性の探求に見出されるべきものである。・・・

しかし、霊性に関してはことは天文学や物理学のように一筋縄ではいかない。人間は悪によって決定的に損なわれており、自己啓発や社会環境の改善では回復されない、助けが必要であり、救助してもらわなければならない、・・・

・・・ 歴史の中で様々な人たちが「霊性」へのいろいろな解釈を試みた。それは神の存在を必要としないような解釈である。・・・

ライトが「障害」として論ずるのは「相対主義」の問題。(真理を主観的私的体験に縮減する。)

しかし、「正義への渇き」、「霊性への渇き」が連関され、累積されて行く時に、次第にその先にあるだろうリアリティーの実感は確かさを増す・・・と言った具合にまとめられるだろうか。


以上が『シンプリー・クリスチャン』の方のまとめ。


それ以外では、この時期様々な「講演会」や、ライト関連記事のリンクが紹介された。

日本福音主義神学会東部部会の公開研究会
 日時:6月15日(月)14:00-17:00
 場所:OCC508号室
 テーマ:『今、再び人間の罪について考える』
 講師:鈴木浩ルーテル学院大学教授


リチャード・ヘイズ、デューク大教授講演会
http://www.rikkyo.ac.jp/events/2015/04/16001/
http://rikkyo-kiriken.com/swfu/d/auto-Kf9bQZ.pdf
 



以上ご報告まで 

2015年3月24日火曜日

FB読書会 2015年3月近況

11月近況」以来更新が滞っていました。
ぼやぼやしているうちにレントに入り、次週は早受難週です。

Surprised By Hopeに続く本は、Simply Christian となったことは既にご報告しました。


実際に『シンプリー・クリスチャン』を読み始めたのは2月に入ってからです。

数ページずつ小分割し、世話人以外の人たちにもリーダー(Reader/Leader)担当して頂いています。

イントロ・・・SH
1章、Putting the World to Rights
 イントロ・・・HTさん
 The Cry for Justice・・・HKさん
 A Voice, or a Dream?・・・TMさん
 Tears and Laughter・・・KYさん
 Christians and Justice・・・HKさん

2章、The Hidden Spring
 イントロ・・・TKさん

と、ここまで来ています。

以下支障ないと思う限りにおいてですが、各担当者が訳出したものから抜粋して紹介します。

イントロ・・・SHさん
イエスに従うことの意義は、単に、死後に今よりもっと良い場所に行けるようにすることではなく、キリスト者の抱く希望の本質は、その希望が現在の生活に反 映されることにある。そう考えると、この世でのさまざまな課題について、新しい取り組み方が見えてくる。
本書の結論に近づくに従い、第一部で取り上げた 「声の響き」が、再び聴こえてくるだろう。もはや、ただ神の存在をほのめかすものとしてではなく、この世界にあって神の国のために働くという、キリスト者の召命を支える重要な要素としての「声の響き」である。
1章、Putting the World to Rights
 イントロ・・・HTさん
 正義への情熱に関しても同じようなことが当てはまるように思える。私たちは正義がこの世界を支配する夢を見、そこで私たちが何をなすべきかは分かっているように思えるが、現実の中では、その夢を説明することができない。

 今回の箇所を読みながら以下の名言を思い起こしました(※担当者の感想)
「国家をこの世における地獄と絶えずしてきたのは、人々が国家をこの世における天国にしようとしてきた、あの努力以外のなにものでもない」(F.ヘルダーリン)
The Cry for Justice・・・HKさん
 もう一度、人々は自分自身に問うている。「一体これは何だ?」と、「我々はこの状態から回復されうるのか?」と。
 もう一度、我々は自分自身に問うている姿を見ているのだ。「正しくあろうとするのにこの様は何だ?」と。「すべきでないことをなぜ斯くも頻繁にすることになるのだ?」と。
A Voice, or a Dream?・・・TMさん
これら三つの伝統[注 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教]は様々な点で互いに異なるが、他の宗教や哲学との違いを次の点では共有している。すなわち、声を聞いていると思う理由は、実際にその声を 聞いたからだ。それは夢ではない。その声を聞き返し、その声を実現させる方法がある。それも現実の人生で。わたしたちの実際の生活で。
Tears and Laughter・・・KYさん
イエスはお祝いごとの行われていてみんながたらふく飲み食いしているパーティーによく足を運んでいます。
また彼はめちゃくちゃな誇張表現で言いたいことを 明らかにしたりもしました:『君たちさー、友達の目の中の木くずを取ろうとしてるけどさー、自分の目の中に丸太ん棒はいってるんだよなぁー!』
 またイエ スは弟子たち、特にリーダー格の弟子におもろいあだ名をつけたりもしました。(小石のシモンには大岩ペテロ、ヨハネとヤコブには「イナズマブラザーズ」) イエスが行くところどこでも、人々はワクワクしていました、それは神が動き始めてる、新しい救いの計画の気配がする、世界が正しく組み替えられると彼らが 信じたからです。
Christians and Justice・・・HKさん
 これらの人々の話は繰り返し繰り返し語られる必要がある。これらの物事をきちんとするということは、クリスチャンたちが行ったことをまともに受け止めた ことによるのだ。しかし、これらのことに取り組むことは、人々をトラブル、ときには死に至らせるほどの暴力に巻き込まれることになる。
 20世紀は多くのク リスチャンの殉死者を生んだが、それは、彼らが信仰の問題だけでなく、信仰から導かれる義に対して恐れを知らない態度で取り組んだからである。デートリッ ヒ・ボンフェファーを見よ。エルサルバドルでのオスカー・ロメロを見よ。そして、Martin Luther Kingを。
2章、The Hidden Spring
 イントロ・・・TKさん(※これは筆者、小嶋のことです。訳出ではなく要約しました。長くなりますが紹介します。)

現代西洋人のキリスト教との距離(隔たり)を
 ①「ポストモダン」、
 ②「ポストキリスト教」、
 ③「ポスト世俗」
と言う諸特徴から捉えていたが、「スピリチュアリティ/霊性」の状況を啓蒙主義以降の「システム(The System)」から解読している。


ライトがこの状況を説明するために用いるのは結構手の込んだ喩えです。
(これは邦訳出てからじっくり読んでください。ここで説明するのは野暮だと思いますので。)

啓蒙主義以降西洋社会では、世俗化と呼ばれるシステムが徹底してきました。
政教分離など宗教は公共圏から「私事」に隔離されました。
Surprised By Hopeが描くような二元論的「あの世」志向キリスト教は「私事」化した宗教として「統治者」にとって「安全」なものになりました。

しかしこの間合理主義全盛のもと殆ど破綻なく「安全な水道水」だけで庶民に賄われてきたと見えた「霊性の深み(Hidden Spring)」が突如あっちこっちに水を噴出してきました。


具体例として挙げられているのは、
 ・ニューエイジ神秘主義
 ・タロット(占い)カード
 ・水晶
 ・ホロスコープ

しかし、何と言ってもその際たるものは「9.11」になるかと思います。
様々な宗教者集団の武装化。
自分たちの信念を「私事」で収めておくことができずに公衆の目前で破壊やテロ行為に及ぶ「妄信」の徒が輩出する状況。

※以上が所謂「ポスト世俗」現象と言えると思います。

果たして啓蒙主義の合理的支配は「霊性」を閉じ込めておくことができるだろうか。
・・・と言うような問題提起の仕方で「近代西洋社会における霊性の行方」を描写します。


以上です。
また「近況報告」します。

2013年7月7日日曜日

ライトの新刊(予定)

先日ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズ第4巻
パウロと「神の誠実(あるいは忠実)」
についてお知らせした。

11月出版に向けて頭にねじり鉢巻をして執筆しているライト教授をイメージするのだが、この大著の他にまだ少なくとも1冊別の本が発刊されようとしている。
驚くべきスタミナと言うか、意欲と言うか、恐れ入る。

その本のタイトルは、
Creation, Power and Truth: The Gospel in a World of Cultural Confusion 


その「イントロダクション」部分(1-11ページ)が出版元サイトで読める。

現在の西洋における文化的混乱状況を三つの要素(①グノーシス主義、②帝国主義、③ポストモダニズム)に絞って分析し、その混乱の中でキリスト者が、教会が、果たすべき(福音を提示するという)役割を、「世界観対立」を通して実践している本のようだ。

この文化的混乱状況を収めるのに、『正統的神学の枠組み』と言う上からのアプローチではなく、聖書テキストの釈義を通して、と言う下からのアプローチを実践しているようだ。
従来と変わらぬライトの神学的アプローチと言えるだろう。

たった11ページのイントロからだが、ライトがこの本を通して取り組もうとしている仕事は何か、ほぼイメージできるのではないかと思う。

「キリスト教起源と『神』問題」シリーズに見るライトの「新約聖書神学アプローチ」は、「一世紀」と言う歴史的文脈を、「世界観」的に再構成して問題を整理統合すると言う性格のものだ、と小嶋は勝手に理解している。

そのライトの手法は(ライトは自分では意識していないかもしれないが)多分に文化人類学の中でも、クリフォード・ギアーツに代表される「世界観」文化解釈(ワールドヴュー・カルチュラル・ハーメニューティクス)と「分厚い描写(thick description)」の手法に結構重なるように思う。

(1,687円と言う値段から想像するに)この小さな本でも、ライトはそのような手法で「西洋における今日の文化的混乱状況」を分析しようとしているのだろうか。

ライトの現代についてのカルチュラル・ハーメニューティクスはどの程度のものか、現代の社会学者や哲学者との対話がどの程度あるのか、あったとしてその背景読書は脚注や文献目録に披露されるのかどうか、・・・興味多々である。