ラベル 今日のツイート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 今日のツイート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年6月29日金曜日

今日のツイート 2018/6/29

「今日のツイート」という形での投稿は過去にもあります。

今日のツイート 2017/1/6

今日のツイート 2017/1/17


さて今回の「今日のツイート」は (詳しい文脈は分かりませんが)14歳の少年たちに「いかに聖書を教えるか」みたいなトピックのようです。


オーストラリア・シドニーの学校のことのようですが、先生はみな「カルヴァン主義」の方々のようです。
聖書クラスでの授業の効果はどうも余り芳しくないようです。

それでこのリプライなのですが、カルヴァン主義の「選びの教理」では子供たちは感化されないだろう、みたいな意見を述べ、かの有名なスポルジョン(19世紀英国の著名な説教家)でさえ、「もし彼が今の世に生きていればN.T.ライトやバイブル・プロジェクトに触れているだろうから、とてもカルヴァン主義者ではいられないだろう」と申しております。


2017年1月17日火曜日

今日のツイート 2017/1/17

前回の「今日のツイート」の続編のような・・・。

やはり、ナラティブに関してです。
プレストン・スプリンクルは新約聖書学の人で、2007年にアバディーン大で博士号を取得しています。

NPP(The New Perspective on Paul) に関しても、分かりやすい「入門的まとめ」記事をブログにアップしています。
引用されている社会心理学者ジョナサン・ハイトの言ですが、こう言う本を書いていることからも分かるように、(政治的)意見の対立を心理学的に分析しているようです。



人はなぜ(対立する相手の)「道徳的世界観」に対して盲目になるのか・・・は、福音書の場面に置き換えると、イエスとパリサイ人の対立が思い浮かびます。

ライトは世界観の対立をナラティブの対立として分析しますが、全く異質のナラティブの対立ではなく、「(かなりの部分共有する)世界観の解釈を巡る対立」として分析します。

ゆえに、イエスの「たとえ話」は、対立する相手(パリサイ人に限らないと思いますが)が有する支配的な「イスラエルのストーリー」を内側からひっくり返す(subvert)ような解釈、オルタナティブ・ナラティブを提示しているのではないか、という分析になるのだと思います。


まっ、「イエスのたとえばなし」解釈への一つの「窓」として読んでいただければいいかな、と。

2017年1月6日金曜日

今日のツイート 2017/1/6

「今日のツイート」とは
「大和郷にある教会」ブログで常設しているエントリー項目です。このサイトでは去年7月にこのカテゴリーで一つアップしました。
今回は「ナラティブ」について。




ライトの「ストーリー/世界観」に重なるようなツイートです。

ナラティブの闘い」に関しては、「大和郷にある教会」ブログでオウム真理教への村上春樹のアプローチとして書きました。

2016年7月15日金曜日

今日のツイート 2016/7/15

「今日のツイート」とは、「大和郷にある教会」ブログで常設しているエントリー項目ですが、この話題はやはりこちらが適当ではないかと思い、越境してきました。(笑)


一見して「宗教史学派」の「ヘブライスト対ヘレニスト」を踏襲した「大雑把」な物言いで、およそ(キリスト教青年部の人がイスラーム法学者から指摘されて)「なるほど」というほどのことはないと思うが・・・。

せめて、

(1)「パウロの『律法蔑視』」とはいかなるもので、どのようなロジックのもとにそのような「パウロ観」、そして「キリスト教(発達史)観」になって行ったのか、ということを検証するきっかけにしてはいかがだろう。

(2)「イエスが教祖」のキリスト教は「実質パウロ教、特にプロテスタントには」・・・のような「大まかな見取り図」をあたかも事実のように鵜呑みすることは、多大な新約聖書学・初期キリスト教学の研究成果を一切無視するようなもので、前途有為な「キリスト教青年」においてはそのような「知的逃避行動」は慎んで欲しいものだ。

※手始めに、ライトのWho Founded Christianity: Jesus or Paul?
あたりから読まれてはいかがでしょう。