「大和郷にある教会」ブログで常設しているエントリー項目です。このサイトでは去年7月にこのカテゴリーで一つアップしました。今回は「ナラティブ」について。
— T.Katsumi (@tkatsumi06j) 2017年1月5日
ナレーティブという語彙にぴったりする日本語があれば、と思います。特に歴史を語るときには「どの口が喋る歴史か」をきちんと意識する必要があると思いますし、プロパガンダはこのナレーテフィブの乗っ取りですからね。政治や革命はナレーティブの闘いですし。 @tkatsumi06j— 宮前ゆかり (@MiyamaeYukari) 2017年1月5日
ライトの「ストーリー/世界観」に重なるようなツイートです。@MiyamaeYukari 「ストーリー」或いは「物語」でしょうか。いま話題の作家ハラリ氏の『フィクションの共有』という表現が意味するところは、結局どういう「物語」=narrativeを受け入れるかということに尽きると思います。— T.Katsumi (@tkatsumi06j) 2017年1月5日
「ナラティブの闘い」に関しては、「大和郷にある教会」ブログでオウム真理教への村上春樹のアプローチとして書きました。
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