以下のリンクにある文章はエルスペス・バーネットさんの「信仰と神学的研鑽」についての回顧になっています。
現在は表示されていないようですが、小嶋がメモした時点(記事がアップされた数日後以内)にあった読者のコメントの一つに「ケンブリッジ時代のライト教授」が登場します。
そう言うわけで、現在表示されていないものを引用するのは技術的に多少問題あるかと思いますが、(架空ではないであろう)一つのエピソードとして読んでいただければ、と思います。
N.T.ライトは英国の新約聖書学者、元ダラム大聖堂主教(2003-2010年)です。ライト読書会は2007年スタート。ブログの目的は読書会とライト関連情報を素早くアップすること。
日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時と言うことでちょうど1ヶ月前となりました。
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』
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| (クリストファー・ライトのMISSION OF GOD邦訳版第1巻) |
と言うことです。クリス・ライトのMission of Godのベーシックトーンは、聖書は神の壮大な物語であるという視点です。彼は旧約学者なので、アブラハム物語から説き起こします。神がアブラハムと祝福の契約を結んだのは、選民イスラエルをえこひいきするためではなく、世界の全ての民を祝福されるためであったということに焦点を当て、アブラハム以後の神の民のエピソードの中でも随所に同じ世界の全ての人への祝福というメッセージを読み取ります。その究極の実現がイエスの出来事であると捉え、旧約と新約を連続して一貫した視点で描きます。 神はもともと一貫して世界を祝福したくて仕方がなかった、そのためにその時代その時代に人を立て、神の宣教を遂行してきた。しかるに、現実の世界は神が創造された意図から離れてbroken worldとなっている。それゆえに、世界に満ちている人権侵害や差別や貧困やエイズのような病気の蔓延など、社会の諸問題にきちんと向き合って対処しようとする営みは、「社会事業」ではなく福音のミッションとして捉えられます。いわゆる狭義の福音伝道だけでなく、世界のあらゆる問題に対応することが福音のミッション(宣教)であるということになります。 そのこととも無関係とは言えないと思いますが、私が「逆説的な問題提起」と感じたのは、例えば、「聖書に従順でありたいと願うならば、聖書を関心の中心にしてはならない」とか「関心の焦点は聖書であるだけでなく、世界の主であるキリストであるべきである」といったところです。「聖書信仰」と言いながら、非常に狭い個人倫理に閉じこもろうとし続ける福音派が聞くべき声だと感じます。ローザンヌ運動も「福音派」の運動であるというアイデンティティーを取り下げていませんが、軸足を「福音」「聖書」に起きつつも、それを目的化するのでなく、福音や聖書が世界に対してどういう意味を持っているのかに目を向けさせます。クリス・ライトが起草委員長を務めた「ケープタウンコミットメント」はそういう視点で書かれています。
世界観の衝突の問題を理解すれば、聖書と現代文化の接点が、初代キリスト教とそれを取り巻く社会的環境との接点に類似する点が多いことが容易に理解できるだろう。聖書そのものを、包括的な物語を理解して読む時に、この物語が他の世界観と対立するものであることが分かる。(『聖書と物語』3ページ)以下対立する「世界観」として挙げられているのは