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2015年7月15日水曜日

NTW伝記的断片 2014/10/14

かなり時が経ってしまいましたが、ライト教授(英語だとプロフ・ライトですね。最近いろいろ呼び名を試していますが今回はこれで。)を伝記的に綴ったり、ライト教授の横顔が知れる文章に触れるとメモしています。

以下のリンクにある文章はエルスペス・バーネットさんの「信仰と神学的研鑽」についての回顧になっています。

現在は表示されていないようですが、小嶋がメモした時点(記事がアップされた数日後以内)にあった読者のコメントの一つに「ケンブリッジ時代のライト教授」が登場します。

そう言うわけで、現在表示されていないものを引用するのは技術的に多少問題あるかと思いますが、(架空ではないであろう)一つのエピソードとして読んでいただければ、と思います。

Will Studying Theology Undermine My Faith?


Because God is gracious, I BECAME evangelical by studying Theology at Cambridge 1978-81! Tutors included "Honest to God" JAT Robinson & "Taking Leave of God" Don Cupitt. In my first year, I did a paper on the history of biblical criticism as it related to the life of Jesus. This taught me the simple truth that the results you get at the end tend to depend on the presuppositions you put in at the beginning, e.g. assume that the miraculous doesn't happen, discount or explain away all texts in which miracles happen, then conclude that, surprise, surprise, miracles don't happen!

The radically critical mindset that Elspeth describes certainly did cause damage and I'm still on the journey of dealing with it. However, I also had the privilege of having Tom Wright as New Testament tutor for 2 years: it was so helpful to be taught by someone much cleverer than I am who had a high view of Scripture and who continues to demonstrate that you don't need to leave your brains outside when you're an evangelical. In fact, most of the liberal views I struggled with as a student, he has subsequently demolished by better arguments.

I studied later at All Nations Christian College, where we were given tools for working in a cross-cultural situation, exactly what one needs for handling Scripture accurately and not something that seemed to be a priority for many in the Divinity Faculty at Cambridge. There, I perhaps harshly concluded, people were out to show how clever they were, rather than concerned to submit their undoubtedly gifted minds to God's revelation in its original context. Clearly this is a broad generalisation, but contains at least a grain of truth.

One final comment: we are so fortunate now to have a depth and breadth of evangelical scholarship that simply was not available when I was a student. We can be extremely grateful to our gracious God for it!

2015年2月20日金曜日

2015年度(リアル)読書会、案内その2

先日ご案内した「2015年度(リアル)ライト読書会」第1回目ですが、
日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』 
と言うことでちょうど1ヶ月前となりました。

今回はテキストの『聖書と物語』を読んだ(クリスチャン新聞前編集長) 根田さんの感想を紹介しながら当日予想されるディスカッションテーマを探ってみたいと思います。
(※残念ながら根田さんは当日先約があり不参加とのこと。) 

以下メールでの対話

根田さっそく日本語訳をお送りくださりありがとうございます。基本的な視点はローザンヌ運動の前神学委員長だったクリス・ライトのMission of God とも相通じるように思います。随所にちょっと逆説的な問題提起があり、非常に興味深い論考ですね。」 

(クリストファー・ライトのMISSION OF GOD邦訳版第1巻)

小嶋「どういたしまして。クリス・ライトと比較した『逆説的な問題提起』と思われる部分はどこかご指摘頂けると、読書会のディスカッションのために有益だと思います。宜しければその箇所と、クリス・ライトの側の主張をご指摘いただければ幸いです。」 

根田 
クリス・ライトのMission of Godのベーシックトーンは、聖書は神の壮大な物語であるという視点です。
彼は旧約学者なので、アブラハム物語から説き起こします。神がアブラハムと祝福の契約を結んだのは、選民イスラエルをえこひいきするためではなく、世界の全ての民を祝福されるためであったということに焦点を当て、アブラハム以後の神の民のエピソードの中でも随所に同じ世界の全ての人への祝福というメッセージを読み取ります。その究極の実現がイエスの出来事であると捉え、旧約と新約を連続して一貫した視点で描きます。

神はもともと一貫して世界を祝福したくて仕方がなかった、そのためにその時代その時代に人を立て、神の宣教を遂行してきた。しかるに、現実の世界は神が創造された意図から離れてbroken worldとなっている。それゆえに、世界に満ちている人権侵害や差別や貧困やエイズのような病気の蔓延など、社会の諸問題にきちんと向き合って対処しようとする営みは、「社会事業」ではなく福音のミッションとして捉えられます。いわゆる狭義の福音伝道だけでなく、世界のあらゆる問題に対応することが福音のミッション(宣教)であるということになります。

そのこととも無関係とは言えないと思いますが、私が「逆説的な問題提起」と感じたのは、例えば、「聖書に従順でありたいと願うならば、聖書を関心の中心にしてはならない」とか「関心の焦点は聖書であるだけでなく、世界の主であるキリストであるべきである」といったところです。「聖書信仰」と言いながら、非常に狭い個人倫理に閉じこもろうとし続ける福音派が聞くべき声だと感じます。ローザンヌ運動も「福音派」の運動であるというアイデンティティーを取り下げていませんが、軸足を「福音」「聖書」に起きつつも、それを目的化するのでなく、福音や聖書が世界に対してどういう意味を持っているのかに目を向けさせます。クリス・ライトが起草委員長を務めた「ケープタウンコミットメント」はそういう視点で書かれています。
と言うことです。

(1)宣教的な視点で聖書を「神の壮大な物語」として読む、クリス・ライトとの共通点
 と言うトピックが提案されました。

 今回はクリス・ライトの「神の宣教」を取り上げることは出来ませんが、「教会の宣教の根拠」を聖書自体のグランド・ナレーティブに求める、そしてそこから「個別化し断片化する宣教論」ではなく、「包括的な宣教論」を導く・・・と言うことが「対比点」になるのではないかと思います。

トム・ライトの『聖書と物語』は様々な人権問題・倫理問題と言うよりも、文化面が対象です。
すなわち聖書は包括的物語として読む時、自ずと「諸宗教・諸思想との世界観的対立」に導かれるということ。

世界観の衝突の問題を理解すれば、聖書と現代文化の接点が、初代キリスト教とそれを取り巻く社会的環境との接点に類似する点が多いことが容易に理解できるだろう。聖書そのものを、包括的な物語を理解して読む時に、この物語が他の世界観と対立するものであることが分かる。(『聖書と物語』3ページ  
以下対立する「世界観」として挙げられているのは
 (1)多神教
 (2)理想主義
 (3)格言世界
 (4)多神教の権力構造
 (5)他の終末論
 (6)他宗教


以上、21世紀のグローバリズムに生きる私たちが、「諸宗教との対話」や「多文化主義」の問題を考える時、また日本にあって「寛容な多神教対排他的な一神教」の問題等を考える際の一つの指針を提供してくれる小論文ではないかと思います。


ここまで読まれた方で関心が湧いた方、『聖書と物語』を読んでみたい方、ディスカッションに参加したい方、どうぞご参加ください。
(『聖書と物語』はまだドラフト訳なのでアップしていません。今回は出席予定者にお渡ししています。)

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席希望の方は事前にお知らせください

※第2回は6月頃、課題図書は、(2)英語の論文となる予定です。またご案内します。


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2013年6月24日月曜日

Scripture and the Authority of God パネル・ディスカッション

昨年第一回目の「N.T.ライト・セミナー」を開催した時、小嶋はライトのScripture and the Authority of God (The Last Wordのヴァージョン・アップ版)から「5幕劇」を紹介しました。(リンク

この本は新約聖書学者としてのライトの主要著作である「キリスト教起源」シリーズのNTPGではそれほどクローズアップされていませんでしたが、ライトの業績が啓蒙主義(モダニズム)とポストモダニズムの思想的問題を意識して進められていることを示すものだと思います。

即ち1970年代の聖書の無誤論論争がモダニズムの土俵でなされていた時点から、その解決・総括を十分見ないままここまで来てしまっていることに対する問題提起であり、キリスト者の実践に深く関わってくる「聖書をどのように読むか」と言う問題の前提となる、「聖書の権威」をどのように再構成(リフレーム)するのかと言う問いに答えるものと位置づけることが出来ると思います。

「大和郷の教会」ブログでは、最近のこの周辺の論争について幾つか紹介して来ましたが(これとか、これとか、これとか、これ )概して論者たちは問題を指摘する方に一生懸命で、ライトのこの本のようにこのimpasseから抜け出せるような建設的戦略を示すには至っていないように感じます。(スミスは社会学者で神学者と言うわけではないので無理からないですが)

幸いにライトのこの本を正面から取り上げてパネル・ディスカッションしているサイト(動画)を見つけましたのでご紹介します。

Vineyard系のキリスト者たちの研究機関のようなものである(まだ良くリサーチしていないので「らしい」と言うことにしておきますが)、The Society of Vineyard Scholarsという組織です。

パネル・ディスカッション動画はここの主催です。

最初のパネリストと言うか、モダレーターのイントロとオーバーヴューは結構いい線行っています。

2番目のCherith Fee Nordlingはゴードン・フィーの娘で確かセント・アンドリュースで博士号を取得しました。
小嶋が現在注目している若手です。そのうちメインステージに登場するかもしれません。
既にMissio Allianceの主事の一人であり、ライトの神学を咀嚼するだけでなくさらに展開しようとしているかなり意欲的な神学者です。(ここのPlenary#2を参照)

この動画でもやはり圧巻は彼女だと思います。自分の考えをアッティキュレートしようと熱っぽく語っています。

3人目はちょっとこじんまりかな、4人目はちょっと「ごにょごにょ」が散見され、熱が下がりますが・・・。

個人的な感想としてはこの組織の動きはなかなか面白いと思います。
何しろ世代が若い、単なるアカデミックなアプローチではない点が興味深いです。
(スカラーに名前を連ねる方々のレベルにかなりバラつきがある感じですが・・・。)

ではどうぞご覧ください。

Plenary #2: Being Human, Becoming Christian: An Embodied Reconciliation Of Heaven And Earth

Presenters: Alan Hirsch, Cherith Fee Nordling, Deb Hirsch, Tory Baucum
- See more at: http://www.missioalliance.org/resources/plenary-sessions-bundle/#sthash.sQGEqHJe.dpuf

Plenary #2: Being Human, Becoming Christian: An Embodied Reconciliation Of Heaven And Earth

Presenters: Alan Hirsch, Cherith Fee Nordling, Deb Hirsch, Tory Baucum
- See more at: http://www.missioalliance.org/resources/plenary-sessions-bundle/#sthash.sQGEqHJe.dpuf