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2019年1月8日火曜日

ライト読書会オフ会 ご案内

すっかり休養モードに入ってしまいました。
唯一「FB(フェイスブック)読書会」の方は『驚くべき希望』が順調に続いています。


さて、突然ですが「オフ会」を計画しています
「雑談会」と言ってもいいようなものです。
というのも「オフ会」の後に「講演会」に出かけようという企画だからです。

1. 講演会のご案内 

 『聖書 聖書協会共同訳』発行記念 公開講演 今を生きる私たちと神の言葉

日時:2019年2月23日(土)14:00~16:15(開場13:30)
場所:上智大学四谷キャンパス6号館101号室(JR「四ッ谷駅」徒歩5分、地下鉄丸の内線・南北線「四ッ谷駅」徒歩5分
講師:ローレンス・デ・ヴリース(オランダ・アムステルダム自由大学教授)
リスポンダント:月本昭男(上智大学神学部特任教授、立教大学名誉教授)

■参加無料(事前登録制 /2018年12月10日より受付を開始し、1月15日(火)以降に整理券を発行いたします。/定員700名/定員になり次第締め切らせていただきます)

2. オフ会のご案内
 この講演会に合わせてライト読書会のオフ会にします。テーマも「聖書」。
 日時、2019年2月23日(土)、午前10-お昼頃
 場所、活水工房ティールーム巣鴨聖泉キリスト教会となり)

《課題とする読みもの》
 今回は「雑談会」ですが、ライトの『Surprised by Scripture: Engaging Contemporary Issues』(ハーパー・ワン、2014年)



の著者インタヴューを読みたいと思います。
N.T. Wright on the Bible and why he won't call himself an inerrantist
(ジョナサン・メリット記者、Religion News Service)

軽い読み物なので講演会前の軽い腹ごなしにはなるでしょう。
それと「聖書論」、特に聖書の「無誤論・無謬論」は依然としてうまくクリアー出来ていない問題です。
このブログ記事も示唆するように、聖書をどのような性格のもの(文書群)と捉えるかは大事な問題だと思います。

いつものように、ご出席なさりたい方、関心ある方
小嶋(t.t.kojiアットマークgmail.com
までお知らせください。
※午後の「講演会」も出席したい方は早めに上記ウェブサイトから「申し込み」
をお願いします。


2018年9月26日水曜日

『驚くべき希望』読書会

4月以降、N.T.ライトFB(フェイスブック)読書会はお休みしていました。

9月になり首を長くして待っていた驚くべき希望』(あめんどう)がついに出ました。

それで読書会を再開することにしたのですが、今回新たな試みとして
(1)『驚くべき希望』専用の
(2)「公開グループ」の
(3)ライト・ビギナーに焦点を合わせた
読書会を立ち上げました。

その名も N.T.ライト『驚くべき希望』読書会 です。


公開グループですのでメンバーにならなくても読むことはできます。

でも読み始めたらいろいろ分からないことが多く、できたら一緒に読み進める仲間がいたらいいな・・・と思う方は「メンバーとして参加する」ことを考えてみてはどうでしょうか。


N.T.ライト『驚くべき希望』読書会 ページに掲載した「説明」を以下にご紹介しておきます。

よくお読みの上よろしければご参加ください。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

英国の新約聖書学者N.T.ライトの『驚くべき希望(Surprised By Hope)』(あめんどう、2018年9月刊)専用の読書会です。

『驚くべき希望』専用の「公開」グループの読書会として、
 (1)この分厚い本を読み通す仲間を作り、
 (2)質問や疑問があればシェアし、
 (3)(本を理解するための)参考となる情報をシェアするプラットホームを目指します。


「公開」グループの読書会として次のことをお守りください。
 (1)メンバーは『驚くべき希望』を入手している方に限定します。(原書、Surprised By Hope、で参加したい方も受け入れますが、シェアする内容は日本語にてお願いします。)
 (2)メンバーは、本を読み進めるのに適した《質問》や《疑問》をシェアしてください。
 (3)メンバーは、本を読み進める励ましとなるような《感想》や《気づいたこと》をシェアしてください。

※「ディスカッションや議論」について
 シェアされた《質問》や《感想》から「ディスカッション」に発展する場合もあるかと思います。
 『驚くべき希望』の(終末論と呼ばれる)神学的内容については様々な解釈がありますが、この読書会ではその一つである「ライトの解釈」を☆読んで理解する☆ことが目的です。他の解釈とどちらが正しいか議論して決着を付けることではありません。
 多少の意見の交換は構いませんが、その場合でも他の人が本を読み進める妨げとならないよう、短く切り上げるか、グループ外で続けてください。

このグループの「管理人/世話役」
 2013年から、N.T.ライトFB(フェイスブック)読書会は「非公開」グループとして活動してきました。(現在も続いています。)
 その管理人/世話役としてグループをリードしてきたのが、小嶋・中村・川向の3名です。
 この『驚くべき希望』専用の「公開」グループ読書会も同じ小嶋・中村・川向の3名がリードします。
 (ちなみに中村氏は『驚くべき希望』の訳者でもあります。)

『驚くべき希望』を他の方々と一緒に読みすすめたいなーと思われる方はどうぞ参加なさってください。







2017年5月9日火曜日

2017 第2回目のライト読書会

既に「2017年度」全体の案内はしました。

《第2回目ライト読書会》については

日時: 2017年5月27日(土)午前10-12時
場所: 活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)
テキスト: Paul and Caesar: A New Reading of Romans 
とご案内しました。


2017年は「政治と宗教」というテーマで「(リアルの)ライト読書会」を計画したわけですが、4月1日の第1回目は「政治」と「宗教」が分離してきた(特に啓蒙主義近代以降の)歴史的背景をライトの個人史に沿って考えました。

日本においては自由主義と保守主義が対立することで、前者が社会正義や政治に関心を集中する一方、後者はその反動で「救霊」に専念するようになりました。それがどんな影響を及ぼしてきたのか、当日の出席者に語って頂きました。

第2回目は「政治や社会正義」に取り組む時、特に福音派が大事にしている「聖書の権威」をどのように実践に活かすのか、というテーマになります。

福音派のいわば土台となる「聖書釈義」を十全に用いた「神学」がどのように構築されるべきか、と云う課題、そしてそのテストケースとして「ライトのロマ書釈義」を読んでみたいと思います。

この「Paul and Caesar: A New Reading of Romans」と云う論文は、所収された論集

A Royal Priesthood?:
The Use of the Bible Ethically and Politically
A Dialogue with Oliver O'Donovan

に付けられた「A Royal Priesthood」と云うモチーフの含蓄もさることながら、「世界観レベルでの政治的対抗」を導き出すため、「伝統的なロマ書の読み」だけでなく、「NPPの読み」もまだ不十分だ、と云う批判的テーゼを含んだプロポーザルになっています。

そのように「ロマ書全体の展望」をどう見るかということが「肝心な問題」なので、皆さんと読む部分はかなり限定的になりますが、意識は論文全体の趣旨、即ち「A Fresh Perspective」に向けたいと思います。

そのため僭越ながらこの「Paul and Caesar: A New Reading of Romans」論文を「当日、実際に目を通し読み合わせる部分」と「アウトラインだけ見て本文は通り過ぎる部分」とに分離・圧縮したもの(※)を出席者に配布したいと思います。

※当日用に出席予定者に配布する縮小版は「Paul and Caesar、ライト読書会用(PDF)」で、後日お送りします。

当日まで3週間を切りましたが、この「案内」を読んで関心を持たれた方は是非お問合せください。(※英語が苦手な方は傍聴だけで大丈夫です。)

※問合せ・出席希望者は「小嶋」までご連絡お願いします。
「問合せ連絡先」は左コラム(←)を参照ください。 


2017年4月7日金曜日

N.T.ライトFacebook読書会 ver.3.2

2012年3月に始まった、フェイスブック上のN.T.ライト読書会。

 ※それより5年前に、リアルの方の読書会はスタートしました。

年々ライト読書会は大きくなり、今ではFBライト読書会の方は210名を越すほどの「非公開グループ」になりました。

既に3冊のライトの著作を読了しました。
 1. How God Became King
 2.  Surprised By Hope
 3. クリスチャンであるとは(邦訳が出る前はSimply Christian)
 

そして2017年4月から『シンプリー・ジーザス』を読んでいます。

(進行具合はライト読書会ブログ →このブログ、に月例報告をアップしていますので、ご参考までに。)



「N.T.ライトFacebook読書会」
に入会希望する方へのお願い

さて、ここからが「新たに入会を希望」する方々へのお願いです。

以下の事項をご理解の上、「入会申請」へお進みください。


 1. 読書会ですので、対象となる本(現在は『
シンプリー・ジーザス』)を購入しているか、購入予定あるいは希望している方が対象となります。(ディスカッションを読むだけの方はご遠慮ください。)

 2.  (任意ですが)入会時か、入会後適当な時に「自己紹介」をお願いします。

 ※「管理人」が「入会申請」を受け付ける際、ごく簡単に以下の二つのことについて質問しますのでご回答いただきます。

(a)入会希望のきっかけ、特にN.T.ライトに関わること。
(b)信仰・教会・宗教的背景(※クリスチャンに限定ということではありません)

 以上、ご理解いただけましたらN.T.ライト読書会のページで「参加」ボタンを押し、「管理人」からのコンタクト(フェイスブックのメッセージ)をお待ちください。(※もし「申請」ボタンを押してから数日以内に連絡が来ない場合は、下記のメールアドレスまでその旨お知らせください。)



 以上よろしくお願いします。

 ご質問・問合せは、(管理人)小嶋崇、t.t.koji*gmail.com(*を@に変換してください)まで、お気軽にどうぞ。
 

2017年3月14日火曜日

2017 第1回目のライト読書会

既に「2017年度」全体の案内はしました。

《第1回目ライト読書会》については

 日時: 2017年4月1日(土)午前10-12時(※エイプリルフールですが。)
 場所: 活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)
 テキスト: Stephen Kuhrt, Tom Wright for Everyone (2011, SPCK)へのライトによる「序文(Foreword)」(2ページ)

「政教分離バイアス」問題の所在や背景についてライトが序文で書いてます。
カートの「ライト入門書」を使ってライト(神学)入門も多少兼ねます。
序文だけですのでわざわざ本を購入しなくても「グーグル・ブックス」で事足ります。
 (※「グーグル・ブックス」が不明の方にはスキャンした文書を送ります。) 
 
 しかし、「ライト入門」も兼ねていますので、著者のカート氏がライトの神学をいかに実際的・実践的にまとめようとしているかを目次等で見るだけでも参考になります。
というところまで案内しました。

今回はその「序文」を少し紹介します。

「序文」はスティーブ・カートの本がどのような意味で「ライト神学入門」になっているかを解説しているのですが、ライトは自伝的な背景を紹介する中で「split world」ということを言います。

クリスチャンとして成長し、社会人となっていく過程で「世界が分離(スプリット)」していることに気づき、そしてそれをキリスト教信仰者として重荷としていく過程を綴って行きます。

一つ目の「分離した世界(split world)」は「史的イエス」研究を本格的に始めて以来感じた「神学」と「歴史(研究)」の分離です。

二つ目の「分離した世界(split world)」は自らの信仰をどう生きるかと言う場面で「信仰」と「生活」が分離している、という問題です。

研究者として直面した「神学」と「歴史研究」の分離と、信仰者の実践課題で直面した「信仰」と「生活」の分離を「いかに統合するか」という問題に心を砕いてきたわけですが、それを原文で表すと・・・
(1) Bringing theology and history together
(2) Bringing faith and life together
となり、その結実をスティーブ・カートの本は上手く押さえている、という評価をしています。

今年のテーマ 宗教と政治 は(2)の方のトピックとして関連してきます。

ライトの使う「カテゴリー」では、特に「宣教(Christian Mission & Ministry)」の領域になります。

普通の福音派教会が考える「伝道」よりははるかに大きなヴィジョン(視野)のもとに「具体的なミニストリー」 が列挙されています。

これらのミニストリーはすべて「神の王国」に向けたミニストリーと位置づけられ、その出発点(launching)はイエス・キリストの死と復活によってもたらされた「新創造」にある、とされます。


さて、第1回目の読書会で読み合わせる「序文」を簡単に紹介しました。

約3週間後となりましたが、この「ミニ紹介」を読んで興味を持たれた方は是非ご参加なされてはいかがでしょうか。(※英語が苦手な方は傍聴だけでも大丈夫です。)

※出席希望者は小嶋までご連絡お願いします。
「問合せ連絡先」は左コラム(←)を参照ください。

2017年2月9日木曜日

2017年度(リアル)ライト読書会のご案内

[追記: 第2回目読書会の日時変更について、2017年2月20日 ]

2017年度の(リアルの方の)ライト読書会のご案内です。

昨年は新たな「ライト邦訳書」が間に合いませんでした。
その代わりと言うか今年は次々出るみたいです。(後日あらためてご紹介します。)

リアルのライト読書会 は、
 (1)日本語に翻訳された書を使ったセッションと、
 (2)英語の主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッション、
の二本立てで継続したいと思っていますが、今年2017年は(2)の方のセッションを2回計画しています。


2017年は「宗教改革500周年」です。しかしそちら方面のテーマはあえて取り上げません。

これまでライト神学のモチーフの中で(正面切って)取り上げてこなかったものを選びます。 
今年のテーマ: 宗教と政治
キリスト教を含めた一世紀の状況では、西洋近代のような「政教分離」はありませんでした(と言っていいと思います)。

しかし現在私たちが新約聖書を通して「イエス」や「パウロ」を理解しようとするとき、多分にこの「政教分離」のフィルターを通して「宗教」と「政治」をそれぞれ別々の文脈のものとして解釈しがちです。(あるいはそのようなステレオタイプで理解していないかと言う疑義があります。)

ライトはいち早くそのことに問題意識をもって取り組んできた研究者です。
たとえば「パウロ研究」の領域では「パウロとローマ帝国」のような研究ジャンルが近年かなり確立されてきました。
今年はあくまで導入レベルにとどめたいと思います。
2回に分けて抜粋程度(一回につきせいぜい数ページ)の文を読んでみたいと思います。

《第1回目ライト読書会》

 日時: 2017年4月1日(土)午前10-12時(※エイプリルフールですが。)
 場所: 活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)
 テキスト: Stephen Kuhrt, Tom Wright for Everyone (2011, SPCK)へのライトによる「序文(Foreword)」(2ページ)
「政教分離バイアス」問題の所在や背景についてライトが序文で書いてます。
カートの「ライト入門書」を使ってライト(神学)入門も多少兼ねます。

序文だけですのでわざわざ本を購入しなくても「グーグル・ブックス」で事足ります。
 (※「グーグル・ブックス」が不明の方にはスキャンした文書を送ります。) 
 しかし、「ライト入門」も兼ねていますので、著者のカート氏がライトの神学をいかに実際的・実践的にまとめようとしているかを目次等で見るだけでも参考になります。

《第2回目ライト読書会》
 日時: 2017年5月27日(土)午前10-12時※6月3日から変更しました。
 場所: 活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)
 テキスト: Paul and Caesar: A New Reading of Romans 

 ※最初の方数ページだけの予定です。

いつものように、出席希望者は小嶋までご連絡お願いします。

以上今年もよろしくお願いします。
小嶋

2016年4月5日火曜日

雑談会のご案内


『クリスチャンであるとは』訳者で、N.T.ライト・セミナー賛同人の上沼昌雄先生がいま日本に来られ各地で勉強会やセミナーをしています。



これに合わせてライト読書会も集まりを持ちたいと思います。いわゆるオフ会みたいなものでしょうか・・・。

 日時、4月20日(水)、午後1-3時
 場所、活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)

《雑談会テーマ》
 今回は雑談会ですが、ライトの『After You Believe』がトピックです。


 『Simply Christian』『Surprised By Hope』と合わせ『After You Believe』で「三部作」といわれています。

 英国出版社のタイトルは『Virtue Reborn』ですが、米国では『After You Believe』となりました。

 「クリスチャン生活」「キリスト教倫理」の範疇に入る著作ですが、特に「徳の倫理」と言われる、近年また注目されるようになった「倫理学」の伝統を参照しながら、ライト神学の基本テーマである「創造→新創造」が展開されています。

 (そんな印象でした。再読して確認しなければなりませんが。)


 雑談会なので、特に発表とかはありませんが、「クリスチャン生活」「キリスト教倫理」は日本において伝道(救い)の次、教会形成での実際問題領域では多分に遅れている分野だと思います。

 「新創造」と言う大きな神学的ヴィジョンからいかに「神の国」宣教を推進するのか、そこでの「キリスト者の成長と役割」を考える機会を提供する著作ではないかと思います。


 ※いつものように、ご出席なさりたい方、関心ある方は
小嶋(t.t.kojiアットマークgmail.com
までお知らせください。

2016年2月4日木曜日

2016年度(リアル)読書会(1)

2016年度第1回目の読書会のご案内をいたします。

昨年はライトの翻訳書が2冊も出版されました。

今年の、リアルのライト読書会は、
 (1)英語の、主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッションと、
 (2)翻訳書を使ったセッション、
をそれぞれ一回ずつやりたいと思っています。

第1回目は英語論文を使います。

日時:2016年3月12日(土)、午前10時~12時
場所:活水工房ティールーム(
巣鴨聖泉キリスト教会隣
課題テキスト:
 Reading Paul, Thinking Scripture
 Originally published in Scripture’s Doctrine and Theology’s Bible. 2008. Pages 59-71.

 ※以上の論文を小嶋が短く編集したものをPDFにして「出席予定者・希望者」に配布し ます。

今回の読書会の狙い:
 別に案内する「『新約聖書と神の民・上』出版記念講演会」のいわば露払い的なテーマと内容になります。
 さまざまな聖書の読み方の中で、「デボーショナル」「神学的」「典礼的」それぞれの問題があり、ライトはいずれも「聖書の包括的ナラティブ」を無視・軽視したところに問題ありとします。
 出版記念講演会では、ロマ書、特に9-11章釈義の問題に焦点を当てながら、ライトの「聖書の包括的ナラティブ」重視の有効性を論証するものと思 われますが、このReading Paul, Thinking Scriptureという小論文では簡単な問題提起と提案をしているようです。ちょっとしたイントロになるのではな いかと思います。

※「『新約聖書と神の民・上』出版記念講演会」
主催:新教出版社、N.T.ライト読書会

は、
4月9日(土)、午後1-3時、
日本聖書神学校(目白)
で開催の運びとなるよう準備中です。

これについてはあらためてご案内いたします。



問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席希望なさる方は事前にお知らせください


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年10月13日火曜日

N.T.ライトFacebook読書会 ver.3.1

2012年3月に始まった、フェイスブック上のN.T.ライト読書会。
 

※それより5年前に、リアル(f2f・・・フェイス・トゥー・フェイス)の方の読書会はスタートしました。

年々ライト読書会は大きくなり、今ではFBライト読書会の方は180名を越すほどの「非公開グループ」になりました。

今年は特に『クリスチャンであるとは』の出版以降、入会者が増えています。

 
それで以前アップしたフェイスブック読書会の説明を更新する必要が出てきたようです。

既に2冊のライトの著作を読了しました。
 1. How God Became King
 2.  Surprised By Hope
現在
 3. クリスチャンであるとは(邦訳が出る前はSimply Christian)
を読んでいます。

2015年10月に入った時点で、第6章「イスラエル」のところを読みすすめています。

 (進行具合はライト読書会ブログで月例報告をアップしていますので、ご参考までに。)


「N.T.ライトFacebook読書会」
に入会希望する方へのお願い

さて、ここからが「今後新たに入会を希望」する方々へのお願いです。

以下の事項をご理解の上、「入会申請」へお進みください。
 1. 読書会ですので、対象となる本(現在は『クリスチャンであるとは』)を購入しているか、購入予定あるいは希望している方が対象となります。(ディスカッションを読むだけの方はご遠慮ください。)
 2.  (任意ですが)入会時か、入会後適当な時に「自己紹介」をお願いします。
 ※「管理人」が「入会申請」を受け付ける際、ごく簡単に以下の二つのことについて質問しますのでご回答いただきます。
  (a)入会希望のきっかけ、特にN.T.ライトに関わること。
  (b)信仰・教会・宗教的背景
 以上、ご理解いただけましたら、N.T.ライト読書会のページで「参加」ボタンを押し、「管理人」からのコンタクトをお待ちください。

 よろしくお願いします。

 ご質問・問合せは、(管理人)小嶋崇、t.t.koji*gmail.com(*を@に変換してください)まで、お気軽にどうぞ。
 

2015年5月18日月曜日

2015年度(リアル)読書会、その2  ガイド②

6月6日(土)の読書会まであと3週間となりました。

課題論文、Apocalypse Now?の後半部分を簡単にガイドします。


Apocalypse and apocalypticism
ブランチ・ダヴィデアンや終末カルトの歴史的実例を参照しながらアポカリプティシズムの問題を論じます。

一応聖書の「黙示思想」言語を淵源とする「世界観」運動としてのアポカリプティシズムをこのように定義しています。


the worldview in which certain people come to believe that their group is set apart from the rest of humanity, that it is righteous and all others are sinners, and, more particularly, that an event will soon occur which will sort things out once and for all.
かなり一般化した表現ですので、ここだけ一読すると「オウム真理教」を連想するかもしれません。

《聖書言語》がそのオリジナルな文脈を離れて、様々に使われる(特に「世の終わり」関連の連想)例として
William Dalrymple’s spectacular From the Holy Mountain: A Journey in the Shadow of Byzantium (London: HarperCollins, 1997)
が挙げられています。

正教以外のキリスト教信者その他が「地獄の業火」に、正教信者は「携挙」に、・・・と言う場面が引用されています。

また、「世の終わり」のイメージを彷彿とさせるので有名な「第二ペテロ3章10節」の釈義問題も取り上げられています。

ライトは《聖書言語としてのApocalypseと《アポカリプティシズム》を次のように交通整理して、問題解決の方向を探ります。

Apocalyptic language, using cosmic language to invest historical events with their full significance, draws together the heavenly world and the earthly world;
“apocalypticism” forces them apart.
Apocalyptic language exploits the heaven/earth duality in order to draw attention to the heavenly significance of earthly events;
apocalypticism exploits apocalyptic language to express a non-biblical dualism in which the heavenly world is good and the earthly bad.
この中でのキーワードである「heaven/earth duality」を次に解説します。


Heaven and Earth

区別①・・・天と地は、two placesではなく、two different dimensions of the total reality of the world.
区別②・・・天と地は、dualityであって、dualismではない。
※アポカリプティシズムの問題は、dualismに行ってしまうこと。

Christian Future Hope
・キリスト者の「希望」は、進歩への「楽観」ではない。
・聖書的「希望」の根拠の中心は「イエス・キリスト」だが、アポカリプティシズムはこの希望の根拠を再臨時の携挙に縮減してしまっている。
・「人の子が雲に乗って」の釈義的問題について。
 
The Present Challenge to Future Hope  
現代のキリスト者の課題が次のような質問で提示される。

The question must be:
how can we read apocalyptic language without collapsing into apocalypticism?
How can we respond to the heavenly dimension of the world without lapsing into an anti-earth attitude? And, faced with the Millennium, 
how can we co-operate with what God intends to do in our world, producing earthly events with heavenly meanings?
And how can we in our turn describe what God may be doing in our world, in such a way as to invest earthly events with their heavenly significance? 
How, in other words, can we do for our own day what the apocalyptic writers were trying to do for theirs?

一方で「イエスの復活」に基礎を置き、どのように「将来の復活の希望」に繋げるかは、
 ・橋渡しのようであり
 ・サインポストを示すようであり
 ・現代の「黙示思想」言語を探すよう
Only poetry, art and music can begin to do justice to such things; the flat one-dimensional language of ordinary post-Enlightenment analysis into economic or political forces will remain earthbound.
現代の文化は千年紀の切り替えとともに「ポストモダン」に突入するかのようである。
その中で希望を切り拓く(ある意味)《言語と思想》の文化創造の戦いに飛び込むのだ。
ーーー要約は以上ーーー




参加希望者はその旨、6月1日までに、お知らせお願いします。

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)


 
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年5月6日水曜日

2015年度(リアル)読書会、その2  ガイド①



ゴールデンウィークも今日でおしまい。


6月6日(土)、の読書会が、一ヵ月後となりました。

参加者には、Apocalypse Now?
を読んできてもらうことになります。 

それほど長い論文ではありませんが、2時間でカバーするにはある程度「スキップ/省略」する部分も必要かと思います。

また、ディスカッションのためにも、この論文の内容を簡単に整理しておきます。
※今回は前半だけ

《イントロ》
20世紀末」を迎えて、「世の終わり」的な言説や、ハリウッド映画、また奇妙な宗教教団の動きが見られます。

21世紀」を目前にして、何か本当に「世の終わり」的なことが起こりそうな予感に包まれている状態をどう理解したらよいのでしょうか・・・。

・・・風な書き方で、イントロの最後を次のような質問で終えます。


Where does all this apocalyptic speculation come from?
Why is it so powerful?
Is there any good reason to link it to the year 2000?
Are there any solid and lasting lessons to be learnt from it?

The irrelevance of 2000
これらの世紀末ファンタジーは、聖書に(特に『黙示録』・・・英語名がアポカリプス)根拠でもあるのか。
2000年は特別な意味があるのか。
(答え)聖書に由来するが、2000年に特別な意味はない。


Apocalyptic language
しかし、世紀末ファンタジーが由来する聖書の「アポカリプテイック言語」はどのようなものなのか。

※以下ライトの解説が今回の読書会のメインポイントとなる予定です。
 

Apocalyptic language is a literary convention.

1(旧約イザヤ書から)

天のもろもろの星とその星座は光を放たず/太陽は昇っても闇に閉ざされ/月も光を輝かさない。(13章10節、新共同訳)


2(新約コロサイから)

そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。(2章15節、新共同訳)


3(新約黙示録から)

天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」(18章2-3節、新共同訳)


アポカリプティック言語とは(定義)

It regularly involves vivid metaphors which enable the writer to say, and hopefully the reader to understand, the significance, within God’s dimension of reality, of events that happen within our dimension, within the world of space, time and matter. 


どのように解釈するか(方法/ステップ)

In order to interpret any passage, particularly any passage of apocalyptic, the way of wisdom is to go through it one step at a time, deciding what is literal and what is metaphorical on the way.


Apocalypse and apocalypticism
※ガイド②に続く。



参加希望者はその旨、6月1日までに、お知らせお願いします。

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

 
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年4月19日日曜日

2015年度(リアル)読書会、その2

2015年度(リアル)読書会、の2回目となる会合の案内です。

今年は、
 (1)翻訳書を使ったセッションと、
 (2)英語の主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッション、
の二本立てで継続したいと思っています。
と、1回目の時案内しましたが、お約束通り、今度は英語論文(要はオリジナル)を読みます。

日時:2015年6月6日(土)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会★隣の★活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『Apocalypse Now?』


論文のリンクは以下の如く。
http://ntwrightpage.com/Wright_Apocalypse_Now.htm


第2回のテーマは「聖書解釈」になります。
 
特に「Apocalyptic language」「Apocalypse」「Apocalypticism」等、聖書に見られる「黙示・黙示文学表現」についての問題です。
 
ちょっと難しいかもしれませんが、聖書を読んでいるとどうしても避けられないトピックではないかと思います。

ご関心のある方は★是非★お加わりください。

※なお会場整備のため出席希望の方は★事前★にお知らせください。

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

 
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年2月20日金曜日

2015年度(リアル)読書会、案内その2

先日ご案内した「2015年度(リアル)ライト読書会」第1回目ですが、
日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』 
と言うことでちょうど1ヶ月前となりました。

今回はテキストの『聖書と物語』を読んだ(クリスチャン新聞前編集長) 根田さんの感想を紹介しながら当日予想されるディスカッションテーマを探ってみたいと思います。
(※残念ながら根田さんは当日先約があり不参加とのこと。) 

以下メールでの対話

根田さっそく日本語訳をお送りくださりありがとうございます。基本的な視点はローザンヌ運動の前神学委員長だったクリス・ライトのMission of God とも相通じるように思います。随所にちょっと逆説的な問題提起があり、非常に興味深い論考ですね。」 

(クリストファー・ライトのMISSION OF GOD邦訳版第1巻)

小嶋「どういたしまして。クリス・ライトと比較した『逆説的な問題提起』と思われる部分はどこかご指摘頂けると、読書会のディスカッションのために有益だと思います。宜しければその箇所と、クリス・ライトの側の主張をご指摘いただければ幸いです。」 

根田 
クリス・ライトのMission of Godのベーシックトーンは、聖書は神の壮大な物語であるという視点です。
彼は旧約学者なので、アブラハム物語から説き起こします。神がアブラハムと祝福の契約を結んだのは、選民イスラエルをえこひいきするためではなく、世界の全ての民を祝福されるためであったということに焦点を当て、アブラハム以後の神の民のエピソードの中でも随所に同じ世界の全ての人への祝福というメッセージを読み取ります。その究極の実現がイエスの出来事であると捉え、旧約と新約を連続して一貫した視点で描きます。

神はもともと一貫して世界を祝福したくて仕方がなかった、そのためにその時代その時代に人を立て、神の宣教を遂行してきた。しかるに、現実の世界は神が創造された意図から離れてbroken worldとなっている。それゆえに、世界に満ちている人権侵害や差別や貧困やエイズのような病気の蔓延など、社会の諸問題にきちんと向き合って対処しようとする営みは、「社会事業」ではなく福音のミッションとして捉えられます。いわゆる狭義の福音伝道だけでなく、世界のあらゆる問題に対応することが福音のミッション(宣教)であるということになります。

そのこととも無関係とは言えないと思いますが、私が「逆説的な問題提起」と感じたのは、例えば、「聖書に従順でありたいと願うならば、聖書を関心の中心にしてはならない」とか「関心の焦点は聖書であるだけでなく、世界の主であるキリストであるべきである」といったところです。「聖書信仰」と言いながら、非常に狭い個人倫理に閉じこもろうとし続ける福音派が聞くべき声だと感じます。ローザンヌ運動も「福音派」の運動であるというアイデンティティーを取り下げていませんが、軸足を「福音」「聖書」に起きつつも、それを目的化するのでなく、福音や聖書が世界に対してどういう意味を持っているのかに目を向けさせます。クリス・ライトが起草委員長を務めた「ケープタウンコミットメント」はそういう視点で書かれています。
と言うことです。

(1)宣教的な視点で聖書を「神の壮大な物語」として読む、クリス・ライトとの共通点
 と言うトピックが提案されました。

 今回はクリス・ライトの「神の宣教」を取り上げることは出来ませんが、「教会の宣教の根拠」を聖書自体のグランド・ナレーティブに求める、そしてそこから「個別化し断片化する宣教論」ではなく、「包括的な宣教論」を導く・・・と言うことが「対比点」になるのではないかと思います。

トム・ライトの『聖書と物語』は様々な人権問題・倫理問題と言うよりも、文化面が対象です。
すなわち聖書は包括的物語として読む時、自ずと「諸宗教・諸思想との世界観的対立」に導かれるということ。

世界観の衝突の問題を理解すれば、聖書と現代文化の接点が、初代キリスト教とそれを取り巻く社会的環境との接点に類似する点が多いことが容易に理解できるだろう。聖書そのものを、包括的な物語を理解して読む時に、この物語が他の世界観と対立するものであることが分かる。(『聖書と物語』3ページ  
以下対立する「世界観」として挙げられているのは
 (1)多神教
 (2)理想主義
 (3)格言世界
 (4)多神教の権力構造
 (5)他の終末論
 (6)他宗教


以上、21世紀のグローバリズムに生きる私たちが、「諸宗教との対話」や「多文化主義」の問題を考える時、また日本にあって「寛容な多神教対排他的な一神教」の問題等を考える際の一つの指針を提供してくれる小論文ではないかと思います。


ここまで読まれた方で関心が湧いた方、『聖書と物語』を読んでみたい方、ディスカッションに参加したい方、どうぞご参加ください。
(『聖書と物語』はまだドラフト訳なのでアップしていません。今回は出席予定者にお渡ししています。)

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席希望の方は事前にお知らせください

※第2回は6月頃、課題図書は、(2)英語の論文となる予定です。またご案内します。


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年1月20日火曜日

2015年度(リアル)読書会、その1

2015年度第1回の読書会のご案内をいたします。

今年からライト翻訳書が出版されることを想定して、リアルのライト読書会 は、
 (1)翻訳書を使ったセッションと、
 (2)英語の主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッション、
の二本立てで継続したいと思っています。

※第1回は翻訳書がまだ出ていませんが読書会メンバーが訳した小論文を使います。

日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』


The Book and the Storyのドラフト訳です。
※邦訳版はアップしていませんので、出席予定者及び希望者に配布いたします。

※The Book and the Story、はN.T.Wright Page.Comで掲載されているリンクは切れています。
こちらのリンクをクリックしてください。

今年新教出版社から邦訳出版予定のThe New Testament and the People of God、上巻は「キリスト教起源シリーズ」の序論・方法論などが入ったかなり読み応えのあるものです。

今回の課題テキストは、その入門編とも言える『ストーリー』『世界観』を平易に扱ったものです。
日本語で最初に読むものとしては、短く、問題点も整理されていて読みやすいのではないかと思います。

!!案内その②もアップしました。(2015/02/20)

関心のある方、都合のつく方、ご参加ください。


問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席なさる方は事前にお知らせください

※第2回は6月頃、課題図書は、(2)英語の論文となる予定です。またご案内します。


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2014年3月2日日曜日

2014年度(リアル)読書会、その2

ちょうど3週間前となりました。
今年第1回目の読書会のリマインダーです。 

日時:2014年3月22日(土)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会(人数によって工房ティー・ルームか会堂)

課題テキスト: Who Founded Christianity: Jesus or Paul?
http://www.beliefnet.com/Faiths/Christianity/2004/04/Who-Founded-Christianity-Jesus-Or-Paul.aspx
(※テキストはドキュメントとしてではなくウェッブサイトに数ページに渡って表示されています。面倒な方のためにPDFにしたもののリンクを以下に貼っておきます。
出席なさる方はなるべくこの文書をお用いください。討論の時ページ数など統一できますので。)

Who Founded Christianity: Jesus or Paul?

さて討論のトピックとしては
①イエスがそもそも教祖かどうか
 これに対する議論として、ライトは既に書かれたイエス研究書の要約を提示します。
 すなわちイエスの自己理解、自己の使命理解です。
 神学的には「神の国」の一世紀的文脈での実現(イスラエルの歴史・ストーリーのクライマックス)はどのようになされたのか、と言うことになるかと思います。

②パウロはイエスの「神の国」宣教をどう受け継いだのか
 ライトはしばしばこのような議論でイエスとパウロが並列的に比較され分析されるのに対し、一つのストーリーの展開(クライマックス→インプリメンテーション)と言う形で統合的に理解しようとします。

 既にご承知の方も多いと思いますが、まだライトのような解釈を熟知していない方には、いわゆる「贖罪論」のような論理形式的(抽象的、非歴史的)理解を再検討する機会になるかと思います。
 
 もちろんライトの歴史神学的解釈が細部まで正確であるかは議論の余地があると思いますが、大筋においてユダヤ教(唯一創造神、選びと契約、終末論)からキリスト教がどのように出てきたのか、旧約聖書と新約聖書の繋がり、等の問題を整理するかなり程度のよい議論が提供されていると思います。

 是非熟読して疑問点などを絞り込んで読書会にご参加いただければ幸いです。

 なおご出席の方は3/19までに小嶋までご連絡ください。

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

2014年1月23日木曜日

The Founder of Christianity, Paul or Jesus?

先日案内した読書会の課題テキストのタイトルが、
Who Founded Christianity: Jesus or Paul? 
となっていますが、

上記のような標題のインタヴューが他のブログ、リンク、に載っています。

インタヴュイーは、デーヴィッド・ウェナム。

GJM: Who really was the founder of Christianity? Was it Paul or Jesus of Nazareth? Where does the evidence point?

DW: Of course, it was Jesus! Paul saw himself as a ‘slave’ of Jesus Christ, and the idea of Paul founding Christianity makes no sense at all: it was a vibrant growing movement before he ever joined it; indeed that is why he tried to eliminate the movement. And after his conversion he was in no position to turn Christianity into a new religion, even if he had wanted to, since he was an outsider not at all involved in the Jerusalem leadership of the church. But he would not have wanted to change Jesus’ religion, because he discovered its truth on the Damascus Road and was personally overwhelmed by the love of Jesus.

2014年度(リアル)読書会、その1

今年度の第1回ライト読書会のご案内です。

ライト読書会常連の皆様、
N.T.ライト・セミナーに参加したことのある皆様、
ライトに関心ある皆様、
日時:2014年3月22日(土)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会(人数によって工房ティー・ルームか会堂)
課題テキスト: Who Founded Christianity: Jesus or Paul?
http://www.beliefnet.com/Faiths/Christianity/2004/04/Who-Founded-Christianity-Jesus-Or-Paul.aspx
昨今「キリスト教」に対する日本における一般大衆の関心はかなり粗っぽい二択の問題のような取り上げ方が依然として主流のように感じます。

今回の課題テキストは、ライトのパウロ研究史の上では最初期の小著と言える、
What Saint Paul Really Said: Was Paul of Tarsus the Real Founder of Christianity? (1996)
からの抜粋です。

内容的にテーマがはっきりしていて、しかも分量が少なくて済む。
そんな目安で課題テキストを選んでみました。

既にご承知の方も多いと思いますので、内容理解に時間を割くよりも、このテーマに沿った相互の理解の整理や議論ができれば、と言う狙いです。

どうぞご関心がある方、都合のつく方、ご参加ください。

※なお会場整備のため出席なさる方は事前にお知らせください
問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

2013年6月3日月曜日

6月8日の読書会に備えて②

いよいよ今週となりました。

多分10名くらいの方々が出席なさると思います。
(もちろん当日蓋を開けてみないと何とも言えませんが・・・。)

さて前回に続いて小嶋がテキストにアンダーラインやハイライトしたところを紹介しておきます。

 
このポイントは「義認」をオルド・サリューティス(救いの順序)で概観する時に改革派や他の神学に対してライトが取る極めてユニークな立場だと思います。(以下は4. Solo Spiritu第3パラグラフから引用)
Paul’s view seems to be that when the evangelist announces the ‘word’, God the Spirit works through that proclamation to bring people to faith. Paul has a very precise technical term which he uses to denote this moment, and it is not of course ‘justification’, but ‘call’. ‘Those he called, them he also justified.’
これは福音を宣証する時の説教者の心得として大事なポイントかと思います。(以下は4. Solo Spiritu第4パラグラフ最後の部分から引用)
Those of us who have believed the gospel from our earliest memories should not forget what an extraordinary privilege that is. And those who preach the gospel should never forget that for it to have any effect it must be driven by and accompanied with the powerful work of the Holy Spirit.
これはカルヴィン派の人たちと北米福音主義神学会時のかなりスペシフィックな論争点でした。ライトは「将来の終末」時における義認も含まれると言う立場ですね。(以下は4. Solo Spiritu第5パラグラフから引用)
Paul’s exposition of this in various passages leads directly to the statement of something he says again and again but which is routinely ignored when the eschatological framework of his doctrine of justification is forgotten: that on the last day the final judgment will be made on the evidence of the complete life that someone has led.
ライトの解釈は「終わりの日の義認の宣言」が前倒しで「信仰を持って聞いた時」に宣告されると言う解釈だと思います。それを基礎付けるのがキリストの死による贖いのわざであり、それを「終わりの日の義認の宣言」まで完成させる聖霊のわざだ、と言うことだと思います。(以下は5. Sola Fideの第2パラグラフから引用)
It takes all of the rest of Romans 8 to explain that, of course, but we should be in no doubt that Paul connects in the most intimate way possible the final verdict ‘not condemned’ with the continuing work of the Spirit, and roots that work in the death of Jesus through which sin was condemned and the verdict ‘righteous’ which was already issued as soon as the gospel had produced faith.
これはご覧のように挿入的なコメントですが、義認に関し信仰の対象が何かを厳密に規定しようとしているものではないかと思います。(以下は5. Sola Fideの3パラグラフから引用)
(We are not justified by faith by believing in justification by faith, but by believing in Jesus; that being so, when we believe in justification by faith what we get is not justification itself, but assurance; and it also follows that those who believe in Jesus but do not believe in justification by faith are nevertheless justified by faith without knowing it.)  
(以下は5. Sola Fideの第4パラグラフ終わりの方から引用)
But now the Messiah has been faithful, as the representative Israelite, so that God’s own covenant faithfulness would be unveiled in action in his ‘obedience unto death, even the death of the cross’. And since the covenant purpose, to deal with sin and to launch new creation, has thus been spectacularly accomplished in his work, justification in the present must be by faith alone, not by works of the Jewish Law, partly because all human beings have fallen short of God’s glory, and partly because if it were by the Law only Jews would qualify. 
最後になりましたが、二つほどご案内があります。
①当日のディスカッションの流れ
13時開始
13:10 - 14:30 イントロから、3. The Glory of Godの終わりまで
14:30 - 14:40 休憩(本の展示販売)
14:40 - 15:50 4. Solo Spiritu、から終わりまで
 テキストに沿ってお互いがアンダーラインしたり、ハイライトしたりした文章を紹介し合いながら自分の読みと他の人の読みを比較して理解を深める、・・・を先ず最後まで通して見たいと思います。
その後に総合的な感想や、講演内容の意義についてディスカッションしたいと思います。


②本の展示販売
今回は二つあります。
(A)スコット・マクナイト「福音の再発見」・・・川向さんが税抜き値段の2,000円でお分けしてくださいます。
(B)河野克也・東方敬信、共訳、リチャード・B・ヘイズ「新約聖書のモラル・ヴィジョン」  1,890円のところ1,600円でお分けしてくださいます。
※ヘイズの本に関しては拙ブログ記事を参考になさってみてください。リンク 

2013年5月29日水曜日

6月8日の読書会に備えて①

さて読書会も近づいてまいりました。

課題テキストとなっている、Paul in Different Perspectivesを参加予定者はどの程度読んでおられるでしょうか。

当日は参加者各自がアンダーラインしたり、ハイライトしたところを比較しながら、感想やら疑問やらを交換したいと思います。

準備の一旦として小嶋がアンダーラインしたり、ハイライトしたところを紹介します。

先ずはライトが自分の読みを「オーソドキシー」の範囲にあること。それもかなりいい線行っているとおもっていること。しかしそのようなライトの読みである教派では軋轢を引き起こしている、などと聞くのを残念に思っていることなど。(以下はイントロ部分から引用)
...since I think my own reading of Paul represents a historically grounded and theologically accurate and sensitive understanding I naturally hope that other Christians of whatever tradition will find what I say fruitful, and I grieve that anyone should get into trouble in their own denomination, whatever that may be, for embracing a viewpoint which ought at the very least to be within anybody’s limits of orthodoxy.

宗教改革のバックボーンは聖書のテキストをあくまで忠実に読み解釈することと捉えるライトは、ソラ・スクリプトラの原則を単音節や短音節のギリシャ語までおろそかにするべきでないことを主張し。(以下は1. No Syllable Alteredから引用)
Not one syllable must be changed. That is what it means to speak of ‘sola scriptura’ and to mean it.

その実例としてガラテヤ2:16のde
The question which dominates the whole letter [the Galatians] from this point on [2:16] is: who are the true children of Abraham, the single family whom God promised to him? And the answer is: all those who believe in Jesus the Messiah, whose faith is the only badge of membership that counts. All of this flows from taking seriously that little syllable de in 2:16.

原文に忠実な読みが「信仰義認」と「世界大のアブラハムを祖とする神の民」を繋ぐ。(以下は1. No Syllable Alteredの結論部分から引用)
I thus discover that my call, my Reformation call, to be a faithful reader and interpreter of scripture impels me to take seriously the fact, to which many writers in the last two hundred years have called attention, that whenever Paul is talking about justification by faith he is also talking about the coming together of Jews and Gentiles into the single people of God. I did not make this up; it is there in the God-given texts.

パウロにとって『ゴスペル』とは何であり、何でないのか。(以下は2. No Other Lordの第1ポイント部分冒頭から引用)
First, when Paul uses the word 'gospel', that is the very center of what he is referring to: the announcement that Jesus, the crucified Jew from Nazareth, has been raised from the dead by the creator God, and has been exalted as Lord of the world, claiming allegiance from all alike, Jew and Gentile, great and small, from Caesar on his throne to the poorest child of the humblest slave in the farthest corners of the world.

「相対主義」「寛容」の問題について。(以下は2. No Other Lordの第3ポイント部分から引用)
And it was of the very essence of his [Paul] work that he established communities of people who were loyal to Jesus as Messiah and Lord and therefore ceased to take part in the other local cults, state religion, mystery cults and so on that their neighbours continued to patronize. The unity of this new community was therefore central and vital, since division would reflect, again and again, ethnic and cultural differences within the Body of Christ.

Thus, whenever I am asked what I think about the so-called 'other faiths', which I often am, including on radio shows and the like, one of the things I normally say is that Krishna didn't die for me, that Buddha didn't rise again, that Mohammad ruled out as an impossibility what to me is the very centre of my life, that in Jesus Christ the one true God became human and lived, died and rose again for the world's salvation, and for mine. That is what Solus Christus must say when faced with relativism.

パウロ解釈における間違った対立軸としての「法廷的枠組み」と「キリストにある」、それを解決する方法と改革派神学で用いられる「転化される義」の問題。(以下は3. The Glory of Godの第4パラグラフから引用)
Here we arrive at one of the great truths of the gospel, which is that the announcement of Jesus Christ is reckoned to all those who are 'in him'. This is the truth which has been expressed within the Reformed tradition in terms of 'imputed righteousness', often stated in terms of Jesus Christ having fulfilled the moral law and thus having accumulated a 'righteous' status which can be shared with all his people. As with some other theological problems, I regard this as saying a substantially right thing in a substantially wrong way.





2013年5月10日金曜日

今年第1回の読書会のリマインダー

(リアルの)ライト読書会が約一ヵ月後となりました。
読書会参加予定者の方々、ご関心のある方々へ、リマインダーです。

2013年6月8日(土)午後1時30分~4時
千代田区神田駿河台2-1OCCビル
4Fの国際ナビゲーター室で。

今回の課題テキスト、Paul In Different PespectivesAuburn Avenue Presbyterian Church, Monroe, Louisianaでなされた講演シリーズの最初のものですが、いわゆるニュー・パースペクティブ・オン・パウロの旗手としてN.T.ライトが宗教改革の基本教理である「信仰義認」を根底から覆す人物であるとの批判を北米のカルヴィニストたちから盛んに受けている状況でのものであったようです。
講演の場所が長老派教会と言うのも、ライトの弁明を気迫に漲ったものとさせている要因かもしれません。

講演の冒頭ライトはこう断っています。
My church grew directly out of the sixteenth-century Reformation, and even where I have disagreed with some of the Reformers’ particular proposals I believe I have remained true to their [Reformers] foundational principles.
そう言う訳で講演の柱は宗教改革原則を表現するのに使われるsola/soloで構成されています。
1. Sola Scriptura
2. Solus Christus
3. Soli Deo Gloria
4. Solo Spiritu
5. Sola Fide 

ライトに対する北米のカルヴィニストの批判は特にこの5番目の「信仰義認」(贖罪論)理解に向けられるのですが、宗教改革の原則を以上1-5と広く視野に入れながら、ライトは批判者たちの「宗教改革者の伝統に立つのは自分たちだ」と言う自負が「信仰義認論」中心になっていることをやんわり批判し、バランスを取ろうとしているように見えます。

なおPaul In Different Pespectives以外の講演と牧師講習会プログラム全体のレポートがここで提供されています。
このテキストを読むに際して講演の「雰囲気」を掴むためにも有益ですので、時間に余裕があれば是非このサイトを訪れください。

また間近になりましたら、最後のリマインダーを掲載する予定です。