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2017年3月2日木曜日

FB読書会 2017年2月報告

昨年「11月報告」以来ですから大分経ってしまいました。

実はまだ正式には「次の本」に入っているわけではないのですが、まもなく(3月中にも) 出版されるという希望的観測の基に「序」の部分から読み始めています。

まだ「足慣らし」「準備体操」の段階だと思ってください。


では「11月報告」以降のことを簡単に振り返ります。

 ・12月中はほぼ冬眠状態でした。
 ・1月は「次の本」が出るまでどうするかアンケートを取りました。
 ・そのうちの1冊の出版元から予告案内が出ました。
 ・出版元から提供された「序文」を使ってかるーく読み始めました。

といったところです。

しばらく休業状態でしたが2月を迎える頃になると段々活発さが出てきました。

ライトや「聖書信仰」関連の本の案内があったりしました。

そんな中でこの記事は「オススメ」というのをアップしましたので、ここにも掲載します。
ライト紹介記事
 相も変わらず英語の記事ですが、ライトの新刊(レボリューション)も含めたライトのキャリアと著作のほぼ全体を見渡す「紹介」が非常に平易に、そして「引用に適した」ライトの文章を多数使ってまとめあげています。
 もちろんこれほど簡潔にまとめると何か偏りや省略が出てきても不思議ではないですが、印象としては「80点」はあげられる出来、と思いました。
 一読をオススメします。
というわけでかなり圧縮した内容なので、ある程度ライトのものを読んだことがないとピンと来ないかもしれませんが・・・。


最後に「新規入会メンバー」について。

12月~2017年2月は、入会7名・退会1名で、トータル212名となりました。


以上、簡単ではありますが、ご報告まで。


2015年11月15日日曜日

ライトのカナダ時代(マッギル大)

この記事は少しずつ書き溜めている《伝記》関連の断片的記事である。

一番最初にライトの伝記?で、カナダ、マッギル大時代のことを書いた。
ライトが「コロサイ・ピレモンの註解(ティンデル聖書註解シリーズ)」執筆中に
By the time I finished it in 1985 I had undergone probably the most significant change of my theological life.
と言及している、「回心的」出来事がある。

この体験前には「リアリティーは二つの領域に分裂したまま」で、「福音のリアリティーが一方にあり、他方に世界と政治のリアリティー」が別々に並存して体験されていた、というのである。

その「分裂したリアリティー」が一つのものになったのが、マッギル時代であり、特にコロサイ註解執筆を通してであった、というのである。


この伝記的文章はとても短く、どのような形でそうなったのかは殆ど説明されていない。

今のところ推測するしかないが、幾らか光を当てる材料がネットに提供されているので少しずつ紹介していこうと思う。


J・リチャード・ミドルトン(J Richard Middleton)は日本では殆ど無名だと思うが、ノースイースタン神学校の「聖書的世界観/釈義」担当教授である。

1976年ごろ、リチャードは「被造世界全体が神の贖いの対象であり、それが新約聖書が目指しているゴール」であることを、ライトとは独立して把握するようになった。

しかし、そのポイントは周り(生徒たち)からは「奇異な見解」の持ち主と見られていた。

しかし、「ほぼ同様の聖書理解」の持ち主であるライトの登場で、状況は変わった。

共通の友人であったブライアン・ウォルシュ通じてライトと親しくなっていった。


その経緯をリチャードが自身のブログで4回に分けて書いている。

トム・ライトとのつながり、その1

トム・ライトとのつながり、その2

トム・ライトとのつながり、その3

トム・ライトとのつながり、その4

このレポートの中で、リチャートが挙げる具体的なコネクションは、
 (1) (リチャードの友人・共著者)ブライアン・ウォルシュ、そして妻のシルビア・キースマートがともにライトの(博士課程の)学生であった。
 (2) 1988年と1989年のライトの講義(Institute for Christian Studies in Toronto)
 (3) ライトがリチャードとブライアンの共著、The Transforming Visionから「世界観の4設問」をNTPGとJVGに活用したこと。
 (4) (そして最も肝心な)ライトが二元論的世界観を脱却する媒介となった
ことなどである。

興味深いエピソードも含めて、詳細は4連記事を読んで頂くとよい。


ただ肝心の「ライトの二元論的世界観からの脱却」に関してリチャードの観察を少し引用しておこう。
As Brian tells it, he kept challenging the sacred/secular dualism with which Wright was reading Colossians. Wright kept separating salvation in Christ from life in the mundane realm (including the political realm). But according to Colossians 1:15-20, the same Christ through whom all things were created, and in whom all things hang together, is the one whom all things are reconciled. The creator and redeemer are one.
これによると、ライトとブライアンがコロサイ1章15-20節をどう理解するかで「意見の交換」したことが大きな要因となっている、というものである。

ライト側はどうだったのか聞きたいが、NTPG, JVG, PFGでも「そのこと」の詳細には触れていないようである。

2015年10月29日木曜日

「継続する捕囚」補記2

また一つ材料が見つかったので紹介します。

Stephen Kuhrt, Tom Wright for Everyone: Putting the Theology of N. T. Wright into Practice in the Local Church (SPCK、2011)


1章が、The career of Tom Wright: emergence, scholarship and non-engagement、となっていて目下ライトの伝記的なものが殆どない中では参考となるまとめになっています。

(当ブログでの「伝記」関係記事はカテゴリーを見ていただくと二つあります。) 

1章で、カート氏は1970年代、1980年代、福音派のアカデミックなサークルではある程度名が知れていたが、広範には殆ど無名であったライトが次第に注目すべき聖書学者・神学者として台頭してくる様子をまとめています。
1990年代初期から中期にかけて、ライトが次第に英国国教会の重要ポストを歴任し始め、『キリスト教起源』シリーズを刊行し始めると、状況は一気に変わった。

特に『イエスと神の勝利』(シリーズ第2巻)によって、そしてその後の『イエスのチャレンジ』等で、「史的イエス」研究で非常に斬新な視点が突然出現した。

Initially what made the lagest impact here was Wright's claim that first-century Israel understood herself to be still in a state of exile, and his presentation of Jesus as an eschatological prophet proclaiming the end of this exile. At this stage Wright was seen within the Christian world primarily as an academic with a gift for communication, and the emergence of his thought was initially regarded with favour by most evangelical Christians. While his views on 'Israel's continuing exile' and his rather different interpretation of Jesus' parables did cause some 'eyebrows to be raised', most evangelicals were very happy to see the confident challenge he was making to the scepticism of other writers on Jesus.... Those within the more academic world, whose suppositions Wright was also challenging, on the other hand, were inclined to see him as a rather eccentric churchman whose 'interesting ideas' needed taking with a rather large 'pinch of salt'.
と叙述しています。

2015年7月15日水曜日

NTW伝記的断片 2014/10/14

かなり時が経ってしまいましたが、ライト教授(英語だとプロフ・ライトですね。最近いろいろ呼び名を試していますが今回はこれで。)を伝記的に綴ったり、ライト教授の横顔が知れる文章に触れるとメモしています。

以下のリンクにある文章はエルスペス・バーネットさんの「信仰と神学的研鑽」についての回顧になっています。

現在は表示されていないようですが、小嶋がメモした時点(記事がアップされた数日後以内)にあった読者のコメントの一つに「ケンブリッジ時代のライト教授」が登場します。

そう言うわけで、現在表示されていないものを引用するのは技術的に多少問題あるかと思いますが、(架空ではないであろう)一つのエピソードとして読んでいただければ、と思います。

Will Studying Theology Undermine My Faith?


Because God is gracious, I BECAME evangelical by studying Theology at Cambridge 1978-81! Tutors included "Honest to God" JAT Robinson & "Taking Leave of God" Don Cupitt. In my first year, I did a paper on the history of biblical criticism as it related to the life of Jesus. This taught me the simple truth that the results you get at the end tend to depend on the presuppositions you put in at the beginning, e.g. assume that the miraculous doesn't happen, discount or explain away all texts in which miracles happen, then conclude that, surprise, surprise, miracles don't happen!

The radically critical mindset that Elspeth describes certainly did cause damage and I'm still on the journey of dealing with it. However, I also had the privilege of having Tom Wright as New Testament tutor for 2 years: it was so helpful to be taught by someone much cleverer than I am who had a high view of Scripture and who continues to demonstrate that you don't need to leave your brains outside when you're an evangelical. In fact, most of the liberal views I struggled with as a student, he has subsequently demolished by better arguments.

I studied later at All Nations Christian College, where we were given tools for working in a cross-cultural situation, exactly what one needs for handling Scripture accurately and not something that seemed to be a priority for many in the Divinity Faculty at Cambridge. There, I perhaps harshly concluded, people were out to show how clever they were, rather than concerned to submit their undoubtedly gifted minds to God's revelation in its original context. Clearly this is a broad generalisation, but contains at least a grain of truth.

One final comment: we are so fortunate now to have a depth and breadth of evangelical scholarship that simply was not available when I was a student. We can be extremely grateful to our gracious God for it!

2014年4月5日土曜日

最近の日本語ブログ圏における「ライト」に関する話題

 ここ1-2年でN・T・ライトが話題にされることが増えてきたように感じる。

 少しずつ(もともとライトを読んでいた方々が)それをブログなどで出すようになってきたのだろうか。

 恐らくライトについて一番早くにブログで取り上げていたのは「のらくら者の日記」ではないかと思うが、先ずは最近の記事を紹介しておこう。
「欧米では、仮説を打ち立てる学者の方が尊敬される」(和田秀樹氏)。確かにそうだと思う。だからN. T. ライトも尊敬されるのだろう。ペテンでないとの確信があるならば、小保方さんも圧力に屈せず、論文取り下げは最後で最後の決断とした方が良い。

「ポストモダンはモダンの否定ではなく、その必然的な帰結である」との池田信夫氏の洞察はそのとおり。

そうしてみると、神学の世界も同様だ。神学論文の大半は「研究発表」ではあっても「論文」ではない。皮肉なことに、今日の神学界で「論文」を書いているのは聖書学者だけ、それも N. T. ライトだけかもしれない。(リンク
本当はもっと解説していただけるといいのだが本業がお忙しく、スパッと切り口だけ提供している。
まっそれだけでも面白いのだが。

 ライトの「キリスト教起源」シリーズ(現在までに4巻刊行、NTPG, JVG, RSG, PFG)の重要性を評価する「のらくら者の日記」さんがいる一方で、ライトの著作のうち「より一般的」なものを評価している「どこかに泉が湧くように」さんがいる。
  明日からはマルコによる福音書の学びが始まります。私は、トム・ライト(Tom Wright)の MARK for EVERYONE(SPCK/WJK)を、個人的なガイドにするつもりです。新約聖書の全巻が完結しているライトの ……for EVERYONE シリーズは、「万人のための」とうたわれているように、専門的な解説を避け、読みやすさが心がけられています。ただ、ウィリアム・バークレーの建徳的なシリーズのように、説教者にすぐに役立つといった性格のものではありません。
 
 時にはライトの解釈を理解するためには、彼の聖書全体の理解や黙示的な御言葉の読み方を知る必要も感じることもあります。私自身は、こういう意味だろうと納得していた御言葉が、思いがけない光に照らされて——ライトの解釈を鵜呑みにするかどうかは別にして——とても考えさせられ、時にはまったく違った御言葉の理解に導かれることもあります。

 最近、必要があって、ルカによる福音書を調べる機会がありました。何冊かの詳しい注解書から学ぶこともありましたが、最も目を開かれ、今もそのことを考えさせられているのは、ライトの LUKE for EVERYONE の理解でした。毎日のデボーションのために、すべてを読むのは難しいでしょうが、折に触れてライトのマルコに目を通すのもこれからの楽しみです。(リンク
「どこかに泉が湧くように」さんのような方でもそうであるように、ライトが一般向けに書いたものであっても、基盤となっている解釈学的枠組みを理解していないと、十分に当該箇所で註解されている意味を汲み取ることが出来ない、ということもままあるだろう。

 今年は少なくとも1冊はライトの邦訳が出る予定だが、翻訳中のNTPG(第一分冊)のものも含めて、今後ライトの著作が次々と出てくれば、やはり何かしら「ライト入門」のようなものが必要になってくるだろう。

2014年4月3日木曜日

ライト入門、のようなものをアップしました

リアル読書会のメンバー、関係者には配布したのですが、リバイバル・ジャパン誌(現在は月刊船の右側)に掲載された文章を、編集長の谷口さんにネット掲載許可をいただきましたので、ここにリンクを貼らせていただきます。

自伝的「新約聖書学」最近研究状況レポート、N.T.ライトを中心に
 [※リンク切れしていましたこちらに小論を全文掲載しました。]

何しろN・T・ライトについて日本語で読めるものはまだまだ少ないので、こんな文章でも少しは役に立つかと思って・・・。

何かご感想などあれば、お寄せください。
小嶋

2013年6月13日木曜日

N. T. ライト「創世記」を歌う

ライトは若い時はかなりスポーツ(ラグビー)に入れ込んでいたようだ。
また当時の多くの若者がそうであったようにビートルズの音楽にも熱中しただろう。
そんな意外な面が最近ライトの動画で紹介されている。

今回は最近、と言っても去年のことだが、ギターを手にして歌っているライトを紹介しよう。

福音派の「科学と信仰」に関するシンクタンクのような財団であるバイオ・ロゴスの創設者、フランシス・コリンズはこの動画の中でライトが「ミスター・DNA」と紹介しているように「ヒトゲノム」解析プロジェクト・リーダーであり、現在はアメリカ国立衛生研究所所長である。

この動画の導入で、ライトはイタリア・ローマの会議に出席しながら、間近(2012年3月)に控えたバイオ・ロゴスの会議の講演論文のことを考えていたのだそうだ。
(もちろん会議はイタリア語で、通訳のイヤフォーンはあったが調子が悪く、どうも飽き飽きしていたようだ。)
そうしたら買い物に行っていた奥さん(マギー)が帰りのタクシーで運転手がビートルズの「イエスタデー」を大変上手に唄っていたそうな。

そこでライトは創世記から歌詞を作り、イエスタデーのチューンに乗せて歌うことを思いついたという。
その後コリンズともメールでやり取りして出来た歌を、2012年5月7日、The Rabbit Roomで歌っているのが、これだ。



N.T. Wright Sings about Genesis from Thomas McKenzie on Vimeo.

これも別の場所で同じ歌を歌っているところ。説明もほぼ同じ(簡略)。



N.T. Wright sings "Genesis" at Hearts and Minds from Thomas B. Grosh IV on Vimeo.

2013年6月12日水曜日

N.T. ライトの日課

以下にN.T.ライトファンのブロガーでもあり著作家でもある、フランク・ヴァイオラがライトをインタヴューした時のものから抜粋して訳します。

N.T.ライト インタヴュー

フランク:
「あなたは物凄い多作家として有名ですが、どんな調子で物書きしているのですか。毎日毎週の著作のペースのことなど教えてください。」

ライト:
「通常のペースなんて言うものはありませんね。孫の子守、鶏の世話や掃除、買い物、博士課程の学生の論文指導、家族との団欒や学術関係その他諸々です。


めったにないですが、一人になれた時は朝5時頃起き、祈り、朝食、そして6時半か7時までには机に向かっている…なんて出来たら最高です。遅い昼食までたっぷり朝の時間を使えますから。その後は散歩、帰宅してまた書き物、夕食は7時半頃かな。食後はあれこれ12時間読んで、祈って、10時半か11時にはベッド、て言う感じですね。

たとえそんなベストの時間割が組めたとしても、仕事としてはとにかく早く書くこと、そして合間にゆっくり注意深く読書をします。新刊の大著な註解書や専門分野の研究書、時に学術誌、書評、ネット情報などが加わります。

しかしその中で一番好きなのはやはり書くことですね。言葉を選んだり考えたりする時の愉悦感、どう表現したらクリエイティブになるか工夫するのが楽しいね。

今までの人生の中でほぼ最高に上手く行った週と言うのがあるんだ。2006年の春だった。その時Acts For Everyoneを書いていた。土曜日に書き始め、日曜日はほぼ休み、そして翌日曜日数時間使って書き終えたのさ。一体何千語書いたか知らないが、とにかく机に向かって座り、後は蛇口をひねって水を出すように言葉が流れ出したってわけさ。あの時は痛快だったなー。」

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2013年4月26日金曜日

ライトの伝記?

ライトの著作は数多い。
「人が(ライトの本を)読むより早く本を書く」と自分でも冗談交じりに言うほどだ。

ライトの読者が彼の様々な本や論文を読む際、やはり彼の人となり、生い立ち、信仰的発展、などを知っていることは助けになるだろう。

残念ながらライトの伝記は1冊の本になるようなものは今のところ出てないようだ。

短いながらも助けになるのは、
N. T. Wright: A Biography
だろう。

2007年までのライトの人生と業績がまとめられている。

ライトの著作の神学的、論争的背景の一つに「霊肉二元論」に対する挑戦がある。
彼は「二元論者」だったが、カナダのマッギル大でのコロサイ書註解執筆中に大きな神学的変革を経験した、と述懐している。
In 1983 I started work on my Colossians commentary.  By the time I finished it in 1985 I had undergone probably the most significant change of my theological life.  Until then I had been basically, a dualist.  The gospel belonged in one sphere, the world of creation and politics in another.  Wrestling with Colossians 1:15-20 put paid to that.
これはMy Pilgrimage in Theologyと言う短い自伝的文章に書いてある。

以上二つを、N.T.ライト読者のご参考までにお奨めする。


2013年4月24日水曜日

最近のN.T.ライト

N.T.ライトは現在セント・アンドリュース大学で「新約聖書と初期キリスト教」の教授をなさっています。(詳細はこちらをクリック)

もちろん現在は教鞭の傍ら、

「キリスト教起源と『神』問題」シリーズ第四巻目となる

Paul and The Faithfulness of God
の執筆の追い込みでお忙しいご様子です。

そんな最中新約聖書学者のお仲間である、筆者の母校アズベリー神学校のBen Witherington III教授(通称BW3)が訪問しました。

これがお二人のツーショット(場所はセント・アンドリュースのカーカルディーにあるライトさんのバンガロー)



そしてこれが、Paul and the Faithfulnessの内容の「フローチャート」だそうです。


そしてこれがNTW(ライトさんの通称)愛用の回転本立て



読者の中で「フローチャート」の拡大版をご覧になりたい方、そしてNTWの手書きの文字を判読したい方は、BW3のブログ記事に直接行って画像をクリックしてくだされば拡大版がご覧になれます。