2015年4月29日水曜日

FB読書会 2015年4月近況

(期待通りに行けば)毎月の報告ですが、

前回、2015年3月近況では、『シンプリー・クリスチャン』の20ページまでカバーしました。

それからの続き・・・。

The Hidden Spring ―Thirsty for Spirituality pp.20-24.
・・・担当は

 The Cry for Justice
 Christians and Justice
に続いてHKさん。(かなりな負担、お疲れ様です。)

(2章は「霊性」の面から、現代西洋に様々な形で姿を現す「霊性のゲリラ的再浮上」現象とも言えるか・・・、を指摘しながら、キリスト教との橋渡しとなるスペースを地均しする。HKさんの訳文を一部引用します。)
このような人生の別の側面に関する急速に増す関心は様々な形をとっている。それは本屋に行って、スピリチュアリティのコーナーに行けば、そのことはすぐわ かる。しかし、そのスピリチュアリティの意味は、理解されておらず様々な名称がつけられており、また、書店ごとにその分類の本の在庫はかなり違っている。 具体的には個人の性格分析の本や、前世輪廻などに関する本まである。仏教徒は悟りの世界を重要視する。この霊性に関する西側社会でのものとしては、カバラ(もともとユダヤ神秘主義の一種がいまはポストモダン世界の呪文)、ラビリンス(中世の祈りのための回廊)、聖地巡礼などへの熱狂までが含まれよう。

 現代の近代社会の中での様々な分野でのケルト風への関心の高まりの背景にこの霊性問題を見ることができよう。 これは多くの人々が西側の教会の公的教会に対して飽き飽きとしている証拠であり、時に怒りを覚える人々もいるだろう。とはいえ、ケルト的キリスト者の中心にあるものは、今日人々が求めているものとはいえないであろう。

と、ライトは「霊性」を巡る西洋社会の現状をスケッチする。


《担当者の感想、そしてディスカッション》から拾ってみますと・・・。

「隠れた泉の残響(霊性への渇き)問題」日本的一例として、オウム真理教
三女アーチャリー、インタヴュー (ブロゴス)

「気配、目に見えないものを感じる」態度(詩人・長田弘)
「風景を生きる」(Eテレ、こころの時代~宗教・人生~ アンコール)

「聖地巡礼」と消費される宗教シンボルの問題
観光と信仰の交差する、現代の聖地巡礼をめぐって


The Hidden Spring ―What Makes Us So Thirsty?; Spirituality and Truth, pp.24-27.
・・・担当はKYさん。

(「霊性の渇き」をどのように橋渡しするか、の「道筋」と「障害」を論じて2章を締めくくる部分。以下、KYさんの要約的訳文引用)
霊性への関心の高まりをどう見るか? クリスチャンには極めて自明である。もしキリスト教のストーリーが事実であれば、つまり神が存在しイエスにおいて最も顕著に知られるのであれば、それこそが霊性の探求に見出されるべきものである。・・・

しかし、霊性に関してはことは天文学や物理学のように一筋縄ではいかない。人間は悪によって決定的に損なわれており、自己啓発や社会環境の改善では回復されない、助けが必要であり、救助してもらわなければならない、・・・

・・・ 歴史の中で様々な人たちが「霊性」へのいろいろな解釈を試みた。それは神の存在を必要としないような解釈である。・・・

ライトが「障害」として論ずるのは「相対主義」の問題。(真理を主観的私的体験に縮減する。)

しかし、「正義への渇き」、「霊性への渇き」が連関され、累積されて行く時に、次第にその先にあるだろうリアリティーの実感は確かさを増す・・・と言った具合にまとめられるだろうか。


以上が『シンプリー・クリスチャン』の方のまとめ。


それ以外では、この時期様々な「講演会」や、ライト関連記事のリンクが紹介された。

日本福音主義神学会東部部会の公開研究会
 日時:6月15日(月)14:00-17:00
 場所:OCC508号室
 テーマ:『今、再び人間の罪について考える』
 講師:鈴木浩ルーテル学院大学教授


リチャード・ヘイズ、デューク大教授講演会
http://www.rikkyo.ac.jp/events/2015/04/16001/
http://rikkyo-kiriken.com/swfu/d/auto-Kf9bQZ.pdf
 



以上ご報告まで 

2015年4月19日日曜日

2015年度(リアル)読書会、その2

2015年度(リアル)読書会、の2回目となる会合の案内です。

今年は、
 (1)翻訳書を使ったセッションと、
 (2)英語の主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッション、
の二本立てで継続したいと思っています。
と、1回目の時案内しましたが、お約束通り、今度は英語論文(要はオリジナル)を読みます。

日時:2015年6月6日(土)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会★隣の★活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『Apocalypse Now?』


論文のリンクは以下の如く。
http://ntwrightpage.com/Wright_Apocalypse_Now.htm


第2回のテーマは「聖書解釈」になります。
 
特に「Apocalyptic language」「Apocalypse」「Apocalypticism」等、聖書に見られる「黙示・黙示文学表現」についての問題です。
 
ちょっと難しいかもしれませんが、聖書を読んでいるとどうしても避けられないトピックではないかと思います。

ご関心のある方は★是非★お加わりください。

※なお会場整備のため出席希望の方は★事前★にお知らせください。

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

 
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年3月24日火曜日

FB読書会 2015年3月近況

11月近況」以来更新が滞っていました。
ぼやぼやしているうちにレントに入り、次週は早受難週です。

Surprised By Hopeに続く本は、Simply Christian となったことは既にご報告しました。


実際に『シンプリー・クリスチャン』を読み始めたのは2月に入ってからです。

数ページずつ小分割し、世話人以外の人たちにもリーダー(Reader/Leader)担当して頂いています。

イントロ・・・SH
1章、Putting the World to Rights
 イントロ・・・HTさん
 The Cry for Justice・・・HKさん
 A Voice, or a Dream?・・・TMさん
 Tears and Laughter・・・KYさん
 Christians and Justice・・・HKさん

2章、The Hidden Spring
 イントロ・・・TKさん

と、ここまで来ています。

以下支障ないと思う限りにおいてですが、各担当者が訳出したものから抜粋して紹介します。

イントロ・・・SHさん
イエスに従うことの意義は、単に、死後に今よりもっと良い場所に行けるようにすることではなく、キリスト者の抱く希望の本質は、その希望が現在の生活に反 映されることにある。そう考えると、この世でのさまざまな課題について、新しい取り組み方が見えてくる。
本書の結論に近づくに従い、第一部で取り上げた 「声の響き」が、再び聴こえてくるだろう。もはや、ただ神の存在をほのめかすものとしてではなく、この世界にあって神の国のために働くという、キリスト者の召命を支える重要な要素としての「声の響き」である。
1章、Putting the World to Rights
 イントロ・・・HTさん
 正義への情熱に関しても同じようなことが当てはまるように思える。私たちは正義がこの世界を支配する夢を見、そこで私たちが何をなすべきかは分かっているように思えるが、現実の中では、その夢を説明することができない。

 今回の箇所を読みながら以下の名言を思い起こしました(※担当者の感想)
「国家をこの世における地獄と絶えずしてきたのは、人々が国家をこの世における天国にしようとしてきた、あの努力以外のなにものでもない」(F.ヘルダーリン)
The Cry for Justice・・・HKさん
 もう一度、人々は自分自身に問うている。「一体これは何だ?」と、「我々はこの状態から回復されうるのか?」と。
 もう一度、我々は自分自身に問うている姿を見ているのだ。「正しくあろうとするのにこの様は何だ?」と。「すべきでないことをなぜ斯くも頻繁にすることになるのだ?」と。
A Voice, or a Dream?・・・TMさん
これら三つの伝統[注 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教]は様々な点で互いに異なるが、他の宗教や哲学との違いを次の点では共有している。すなわち、声を聞いていると思う理由は、実際にその声を 聞いたからだ。それは夢ではない。その声を聞き返し、その声を実現させる方法がある。それも現実の人生で。わたしたちの実際の生活で。
Tears and Laughter・・・KYさん
イエスはお祝いごとの行われていてみんながたらふく飲み食いしているパーティーによく足を運んでいます。
また彼はめちゃくちゃな誇張表現で言いたいことを 明らかにしたりもしました:『君たちさー、友達の目の中の木くずを取ろうとしてるけどさー、自分の目の中に丸太ん棒はいってるんだよなぁー!』
 またイエ スは弟子たち、特にリーダー格の弟子におもろいあだ名をつけたりもしました。(小石のシモンには大岩ペテロ、ヨハネとヤコブには「イナズマブラザーズ」) イエスが行くところどこでも、人々はワクワクしていました、それは神が動き始めてる、新しい救いの計画の気配がする、世界が正しく組み替えられると彼らが 信じたからです。
Christians and Justice・・・HKさん
 これらの人々の話は繰り返し繰り返し語られる必要がある。これらの物事をきちんとするということは、クリスチャンたちが行ったことをまともに受け止めた ことによるのだ。しかし、これらのことに取り組むことは、人々をトラブル、ときには死に至らせるほどの暴力に巻き込まれることになる。
 20世紀は多くのク リスチャンの殉死者を生んだが、それは、彼らが信仰の問題だけでなく、信仰から導かれる義に対して恐れを知らない態度で取り組んだからである。デートリッ ヒ・ボンフェファーを見よ。エルサルバドルでのオスカー・ロメロを見よ。そして、Martin Luther Kingを。
2章、The Hidden Spring
 イントロ・・・TKさん(※これは筆者、小嶋のことです。訳出ではなく要約しました。長くなりますが紹介します。)

現代西洋人のキリスト教との距離(隔たり)を
 ①「ポストモダン」、
 ②「ポストキリスト教」、
 ③「ポスト世俗」
と言う諸特徴から捉えていたが、「スピリチュアリティ/霊性」の状況を啓蒙主義以降の「システム(The System)」から解読している。


ライトがこの状況を説明するために用いるのは結構手の込んだ喩えです。
(これは邦訳出てからじっくり読んでください。ここで説明するのは野暮だと思いますので。)

啓蒙主義以降西洋社会では、世俗化と呼ばれるシステムが徹底してきました。
政教分離など宗教は公共圏から「私事」に隔離されました。
Surprised By Hopeが描くような二元論的「あの世」志向キリスト教は「私事」化した宗教として「統治者」にとって「安全」なものになりました。

しかしこの間合理主義全盛のもと殆ど破綻なく「安全な水道水」だけで庶民に賄われてきたと見えた「霊性の深み(Hidden Spring)」が突如あっちこっちに水を噴出してきました。


具体例として挙げられているのは、
 ・ニューエイジ神秘主義
 ・タロット(占い)カード
 ・水晶
 ・ホロスコープ

しかし、何と言ってもその際たるものは「9.11」になるかと思います。
様々な宗教者集団の武装化。
自分たちの信念を「私事」で収めておくことができずに公衆の目前で破壊やテロ行為に及ぶ「妄信」の徒が輩出する状況。

※以上が所謂「ポスト世俗」現象と言えると思います。

果たして啓蒙主義の合理的支配は「霊性」を閉じ込めておくことができるだろうか。
・・・と言うような問題提起の仕方で「近代西洋社会における霊性の行方」を描写します。


以上です。
また「近況報告」します。

2015年3月6日金曜日

チャールズ・E・B・クランフィールド(1915-2015)

新約聖書学、特にロマ書注解で貢献した英国の学者、チャールズ・E・B・クランフィールドが先日天に召された。

ビブリオブログスフィアーではもう幾つか「追悼記事(オビチュアリー)」が出ているが(※記事の最後に幾つかリンクを貼っておいた)、ライト読書会ブログとしてはライト自身の記事を紹介することにしよう。

読める人はリンクを辿って読んで頂きたいが、英語が大変な人のために3箇所だけ選んで引用してみた。

(1)新約聖書(釈義)学の偉大な「模範」としてクランフィールドを称えている箇所(周到に釈義されたものに対抗するような説を立てるには、「早朝からネジリ鉢巻」で格闘する覚悟が必要・・・とユーモアを効かせている)
The remarkable thing about this commentary is that, even though I now disagree with Cranfield on several of the major interpretative issues, his steady and persistent laying out and weighing up of all the exegetical options remains a model of ‘how to do it’. You always know, with Cranfield, that if you are going to take a different line you will need to get up very early in the morning and hold your nerve through some highly complex discussions of texts and theological issues.
(2)「パウロにおける律法」の扱いでライトが苦悩している時、大勢に反してクランフィールドが出した見方がライトが正しいと思っていたものだったことに感動して、「思わず跪づいて神に感謝の祈りをささげた」と言うエピソードを紹介している箇所。
Though I do not think Paul’s discussion of the Jewish Law was primarily about moral restraint, this easy-going rejection of the law, and a facile opposition between ‘law’ and ‘gospel’, was the order of the day, and I was having difficulty combatting it. At that point I came across Cranfield’s essay on ‘Paul and the Law’, published earlier, and then subsequently incorporated into the long essay on Pauline theology at the end of the second volume of the Romans commentary. I think that was the first time I ever spontaneously knelt down and thanked God for an academic article. It said what needed to be said at a time when nobody else was saying it.
(3)ある日クランフィールド家でお茶をいただいた時、クランフィールドとC・K・バレット(2011年没)にちょうど挟まれた席に座った時のことを、「象と犀の間」と面白く表現している箇所。
On one memorable afternoon, during a conference in Durham, I went to a meeting in the Cranfield home, and found myself sipping tea between the great man and C. K. Barrett. I felt like a small puppy sitting between an elephant and a rhinoceros. These were men who, for all their differences, showed the next generation what it looked like to hold together massive scholarship and deep personal faith and commitment. 

その他の記事のリンク
(1)ニジェイ・グプタ
(2)マイケル・バード
(3)ベン・ブラックウェル


2015年2月20日金曜日

2015年度(リアル)読書会、案内その2

先日ご案内した「2015年度(リアル)ライト読書会」第1回目ですが、
日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』 
と言うことでちょうど1ヶ月前となりました。

今回はテキストの『聖書と物語』を読んだ(クリスチャン新聞前編集長) 根田さんの感想を紹介しながら当日予想されるディスカッションテーマを探ってみたいと思います。
(※残念ながら根田さんは当日先約があり不参加とのこと。) 

以下メールでの対話

根田さっそく日本語訳をお送りくださりありがとうございます。基本的な視点はローザンヌ運動の前神学委員長だったクリス・ライトのMission of God とも相通じるように思います。随所にちょっと逆説的な問題提起があり、非常に興味深い論考ですね。」 

(クリストファー・ライトのMISSION OF GOD邦訳版第1巻)

小嶋「どういたしまして。クリス・ライトと比較した『逆説的な問題提起』と思われる部分はどこかご指摘頂けると、読書会のディスカッションのために有益だと思います。宜しければその箇所と、クリス・ライトの側の主張をご指摘いただければ幸いです。」 

根田 
クリス・ライトのMission of Godのベーシックトーンは、聖書は神の壮大な物語であるという視点です。
彼は旧約学者なので、アブラハム物語から説き起こします。神がアブラハムと祝福の契約を結んだのは、選民イスラエルをえこひいきするためではなく、世界の全ての民を祝福されるためであったということに焦点を当て、アブラハム以後の神の民のエピソードの中でも随所に同じ世界の全ての人への祝福というメッセージを読み取ります。その究極の実現がイエスの出来事であると捉え、旧約と新約を連続して一貫した視点で描きます。

神はもともと一貫して世界を祝福したくて仕方がなかった、そのためにその時代その時代に人を立て、神の宣教を遂行してきた。しかるに、現実の世界は神が創造された意図から離れてbroken worldとなっている。それゆえに、世界に満ちている人権侵害や差別や貧困やエイズのような病気の蔓延など、社会の諸問題にきちんと向き合って対処しようとする営みは、「社会事業」ではなく福音のミッションとして捉えられます。いわゆる狭義の福音伝道だけでなく、世界のあらゆる問題に対応することが福音のミッション(宣教)であるということになります。

そのこととも無関係とは言えないと思いますが、私が「逆説的な問題提起」と感じたのは、例えば、「聖書に従順でありたいと願うならば、聖書を関心の中心にしてはならない」とか「関心の焦点は聖書であるだけでなく、世界の主であるキリストであるべきである」といったところです。「聖書信仰」と言いながら、非常に狭い個人倫理に閉じこもろうとし続ける福音派が聞くべき声だと感じます。ローザンヌ運動も「福音派」の運動であるというアイデンティティーを取り下げていませんが、軸足を「福音」「聖書」に起きつつも、それを目的化するのでなく、福音や聖書が世界に対してどういう意味を持っているのかに目を向けさせます。クリス・ライトが起草委員長を務めた「ケープタウンコミットメント」はそういう視点で書かれています。
と言うことです。

(1)宣教的な視点で聖書を「神の壮大な物語」として読む、クリス・ライトとの共通点
 と言うトピックが提案されました。

 今回はクリス・ライトの「神の宣教」を取り上げることは出来ませんが、「教会の宣教の根拠」を聖書自体のグランド・ナレーティブに求める、そしてそこから「個別化し断片化する宣教論」ではなく、「包括的な宣教論」を導く・・・と言うことが「対比点」になるのではないかと思います。

トム・ライトの『聖書と物語』は様々な人権問題・倫理問題と言うよりも、文化面が対象です。
すなわち聖書は包括的物語として読む時、自ずと「諸宗教・諸思想との世界観的対立」に導かれるということ。

世界観の衝突の問題を理解すれば、聖書と現代文化の接点が、初代キリスト教とそれを取り巻く社会的環境との接点に類似する点が多いことが容易に理解できるだろう。聖書そのものを、包括的な物語を理解して読む時に、この物語が他の世界観と対立するものであることが分かる。(『聖書と物語』3ページ  
以下対立する「世界観」として挙げられているのは
 (1)多神教
 (2)理想主義
 (3)格言世界
 (4)多神教の権力構造
 (5)他の終末論
 (6)他宗教


以上、21世紀のグローバリズムに生きる私たちが、「諸宗教との対話」や「多文化主義」の問題を考える時、また日本にあって「寛容な多神教対排他的な一神教」の問題等を考える際の一つの指針を提供してくれる小論文ではないかと思います。


ここまで読まれた方で関心が湧いた方、『聖書と物語』を読んでみたい方、ディスカッションに参加したい方、どうぞご参加ください。
(『聖書と物語』はまだドラフト訳なのでアップしていません。今回は出席予定者にお渡ししています。)

問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席希望の方は事前にお知らせください

※第2回は6月頃、課題図書は、(2)英語の論文となる予定です。またご案内します。


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇

2015年1月20日火曜日

FB読書会の3冊目はSimply Christian

Facebook上でのライト読書会の報告と案内です。

今まで読んでいた、Surprised By Hope、を2014年末で読み終えました。

次の本を選ぶため話し合っていましたが、
Simply Christian
に決まりました。

何と現在このサイトで、8円で売っています。
ものすごいお買い得です。
(※なぜこのような価格なのかよく分かっていませんが・・・。)

まもなく「シンプリー・クリスチャン」の邦訳が出版される見込みですが、それまでは英書で進めて行きます。

以上よろしくお願いします。

N.T.ライトFB読書会
世話人:川向肇、中村佐知、小嶋崇

2015年度(リアル)読書会、その1

2015年度第1回の読書会のご案内をいたします。

今年からライト翻訳書が出版されることを想定して、リアルのライト読書会 は、
 (1)翻訳書を使ったセッションと、
 (2)英語の主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッション、
の二本立てで継続したいと思っています。

※第1回は翻訳書がまだ出ていませんが読書会メンバーが訳した小論文を使います。

日時:2015年3月21日(土、春分の日)、午前10時~12時
場所:巣鴨聖泉キリスト教会隣の活水工房ティー・ルーム
課題テキスト:『聖書と物語』


The Book and the Storyのドラフト訳です。
※邦訳版はアップしていませんので、出席予定者及び希望者に配布いたします。

※The Book and the Story、はN.T.Wright Page.Comで掲載されているリンクは切れています。
こちらのリンクをクリックしてください。

今年新教出版社から邦訳出版予定のThe New Testament and the People of God、上巻は「キリスト教起源シリーズ」の序論・方法論などが入ったかなり読み応えのあるものです。

今回の課題テキストは、その入門編とも言える『ストーリー』『世界観』を平易に扱ったものです。
日本語で最初に読むものとしては、短く、問題点も整理されていて読みやすいのではないかと思います。

!!案内その②もアップしました。(2015/02/20)

関心のある方、都合のつく方、ご参加ください。


問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)

※なお会場整備のため出席なさる方は事前にお知らせください

※第2回は6月頃、課題図書は、(2)英語の論文となる予定です。またご案内します。


N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇