以前聖書全体のストーリーを簡潔に要約すると・・・
ということで紹介したことがあった。
今回は同趣旨のものを動画で紹介する。
Long Term Rescue Project from Ron Lewis on Vimeo.
ということです。
※ライト批判の俎上にあげられるものに、「義認論」や「(刑罰代償死)贖罪論」がある。細かな点での異同にせよ、枠組みが噛み合わないという批判にせよ、恐らくライトの神学的解釈の妥当性はこの「聖書の全体的ストーリー」を主たる参照枠として批判されるなら、ライトも本望ではなかろうか、と思ったりするのだ。当然この要約自体が批判されることも含めて。
N.T.ライトは英国の新約聖書学者、元ダラム大聖堂主教(2003-2010年)です。ライト読書会は2007年スタート。ブログの目的は読書会とライト関連情報を素早くアップすること。
2016年2月14日日曜日
2016年2月8日月曜日
『新約聖書と神の民・上』 出版記念講演会
“ライト元年”の2015年には、5月に『クリスチャンであるとは』(原題 SIMPLY CHRISTIAN)、そして12月に・・・
日時: 2016年4月9日(土)、午後1-3時
会場: 日本聖書神学校、202号室(山手線目白駅下車徒歩10分)
講演者: 山口希生(翻訳者)
講演題: 「パウロの<ストーリー神学>のクライマックス
―N. T. ライトによるローマ9-11章の講解―」
応答: 1-2名予定
参加費: なし
主催: 新教出版社、N.T.ライト読書会
問合せ: 新教出版社出版部 editorial@shinkyo-pb.com
※講演者の山口希生氏は、ライトのもとで博士論文指導を受け、昨年博士号を授与されました。今日本で最もライト師のことを知る方です。
この機会に是非ライト神学の真髄についての講演をお聞きください。
新教出版社、
N・T・ライトの主著
『新約聖書と神の民』上巻を発売
(クリスチャントゥデイ記事)
となりました。
このThe New Testament and the People of God の上巻翻訳出版を記念して、
出版記念 特別講演会
を開くこととなりました。(ちょうど2ヵ月後となります。)
日時: 2016年4月9日(土)、午後1-3時
会場: 日本聖書神学校、202号室(山手線目白駅下車徒歩10分)
講演者: 山口希生(翻訳者)
講演題: 「パウロの<ストーリー神学>のクライマックス
―N. T. ライトによるローマ9-11章の講解―」
応答: 1-2名予定
参加費: なし
主催: 新教出版社、N.T.ライト読書会
問合せ: 新教出版社出版部 editorial@shinkyo-pb.com
※講演者の山口希生氏は、ライトのもとで博士論文指導を受け、昨年博士号を授与されました。今日本で最もライト師のことを知る方です。
この機会に是非ライト神学の真髄についての講演をお聞きください。
2016年2月4日木曜日
2016年度(リアル)読書会(1)
2016年度第1回目の読書会のご案内をいたします。
昨年はライトの翻訳書が2冊も出版されました。
今年の、リアルのライト読書会は、
(1)英語の、主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッションと、
(2)翻訳書を使ったセッション、
をそれぞれ一回ずつやりたいと思っています。
第1回目は英語論文を使います。
日時:2016年3月12日(土)、午前10時~12時
場所:活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会隣)
課題テキスト: Reading Paul, Thinking Scripture
※以上の論文を小嶋が短く編集したものをPDFにして「出席予定者・希望者」に配布し ます。
今回の読書会の狙い:
※「『新約聖書と神の民・上』出版記念講演会」
主催:新教出版社、N.T.ライト読書会
は、
4月9日(土)、午後1-3時、
日本聖書神学校(目白)
で開催の運びとなるよう準備中です。
これについてはあらためてご案内いたします。
問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)
※なお会場整備のため出席希望なさる方は事前にお知らせください。
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇
昨年はライトの翻訳書が2冊も出版されました。
今年の、リアルのライト読書会は、
(1)英語の、主にNTWrightPage.Com掲載の論文を使ったセッションと、
(2)翻訳書を使ったセッション、
をそれぞれ一回ずつやりたいと思っています。
第1回目は英語論文を使います。
日時:2016年3月12日(土)、午前10時~12時
場所:活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会隣)
課題テキスト: Reading Paul, Thinking Scripture
Originally
published in Scripture’s Doctrine and Theology’s Bible.
2008. Pages 59-71.
※以上の論文を小嶋が短く編集したものをPDFにして「出席予定者・希望者」に配布し ます。
今回の読書会の狙い:
別に案内する「『新約聖書と神の民・上』出版記念講演会」のいわば露払い的なテーマと内容になります。
さまざまな聖書の読み方の中で、「デボーショナル」「神学的」「典礼的」それぞれの問題があり、ライトはいずれも「聖書の包括的ナラティブ」を無視・軽視したところに問題ありとします。
出版記念講演会では、ロマ書、特に9-11章釈義の問題に焦点を当てながら、ライトの「聖書の包括的ナラティブ」重視の有効性を論証するものと思 われますが、このReading Paul, Thinking Scriptureという小論文では簡単な問題提起と提案をしているようです。ちょっとしたイントロになるのではな いかと思います。
※「『新約聖書と神の民・上』出版記念講演会」
主催:新教出版社、N.T.ライト読書会
は、
4月9日(土)、午後1-3時、
日本聖書神学校(目白)
で開催の運びとなるよう準備中です。
これについてはあらためてご案内いたします。
問合せ・連絡:(小嶋崇)t.t.koji*gmail.com (*を@に変換してください。)
※なお会場整備のため出席希望なさる方は事前にお知らせください。
N.T.ライト読書会主宰
小嶋 崇
2016年1月31日日曜日
FB読書会 2016年1月近況
まだ晦日ですが恒例の月例報告です。
1月は少しのろのろの進行振りでした。
以下(いつものように)順に担当者の文章を一部抜粋して紹介します。
第8章「イエス――救出と刷新」
神殿・晩餐・そして十字架へ(155-159)を小嶋が担当。
最初のイースターは(159-167)をKYさんが担当。下記のような感想を書いてくれました。
この他、今月新しく加入したKMさんが「パウロ研究」で継続中の「NP対AP」についての感想を投稿してくださいました。(現在北米の神学校で研究中の課題のようです。)
※「NP対AP」についてはこちらの記事を読んでいただくと少し様子が掴めるかも知れない。
1月の入会者数は1名で、トータル192名となりました。(どうも2名ほど退会なさったようです。)
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
1月は少しのろのろの進行振りでした。
以下(いつものように)順に担当者の文章を一部抜粋して紹介します。
第8章「イエス――救出と刷新」
神殿・晩餐・そして十字架へ(155-159)を小嶋が担当。
いわゆるイエスの「最後の一週間」です。といったようなことを書きました。
象徴(的)という表現が目に付きます。
「最後の一週間」は「象徴的行為」がさらに凝縮し、意味が充満する感じです。
①「最も象徴的行為」(156)としての『(伝統的名称では)宮きよめ』
・・・「これは単に神殿をきよめるのではなく、神殿そのものが神のさばきのもとにあることのしるし」
さらに
「神殿を破壊することによって、ユダヤ国家を全体的に擁護するのでなく、イエス自身と彼に従う者を擁護する」もの
②最後の晩餐が提示する「象徴的解釈」
「神が自分の民と全世界を単に政治的な敵から救い出すのではなく、悪そのものから、人々を捕らえていた罪から救い出す」
イエスの「神の国」樹立の戦略は、山上の垂訓にあるように「愛敵」によって「悪」に勝利するというものであったが、それを十字架で悪そのものを一身に受け「苦難のメシア」を成就する形で「実行に移し」た。
最初のイースターは(159-167)をKYさんが担当。下記のような感想を書いてくれました。
復活をどう捉えるかということは単に歴史や科学の領域にとどまらず、それに直面する私たちに対して世界観の刷新を求めているのだということを強く感じまし た。
今回の箇所を何度も読みながら、実は認知的不協和現象を起こしているのは2000年前のユダヤ人ではなくて今を生きる現代人ではないか、と問うています。私たちの持っている世界観や信条に合わせてイエスの復活を否定しようとしたり、あるいは「死後の命」と関連付けようとしたり、あるいは「最大の奇跡」 と捉えようとすることは、皮肉にも認知的不協和と言えるのかもしれません。このスレッドには久し振りに充実した内容のコメントが続きました。こう言うスレッドが発生するだけでも、FB読書会を続ける甲斐があるというものです。(最近閑散としたウォールを見ることが多いのでなおさらそう感じたのですが・・・。)
この他、今月新しく加入したKMさんが「パウロ研究」で継続中の「NP対AP」についての感想を投稿してくださいました。(現在北米の神学校で研究中の課題のようです。)
※「NP対AP」についてはこちらの記事を読んでいただくと少し様子が掴めるかも知れない。
1月の入会者数は1名で、トータル192名となりました。(どうも2名ほど退会なさったようです。)
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
ラベル:
FB読書会,
クリスチャンであるとは,
月例報告
2016年1月26日火曜日
信仰義認メモ: ジョン・ウェスレー
(断り書き)
これは反射的なメモです。まだちゃんと読んでも、考えてもいません。
最初にこのツイートに反応したのだ。
アン・アウェイクンドとは「認罪」の段階に至っていない、つまり「福音(信仰義認)」を聞く必要に至っていない段階であることを示唆しているウェスレーの言葉なのだろうと取ったわけです。
つまりライトの信仰義認の理解の枠組みとは異なるわけで、そこにまず反応したわけです。
※しかし、ウェスレーの救済論が基本的に「宗教改革神学」に基づき、「救いの順序(オルド・サリューティス)」に則って展開されているわけですから、ウェスレーの理解自体は不思議でもなんでもないのです。
ただある期間ライトの信仰義認論を聞いてきた後でこのような文章にいきなり接すると、やはり、まず「えっ」となるわけです。
さてそれから次に試してみたことなのですが、この文章全体ググってみたら、グーグル・ブックスで、スティーブン・ウェスターホルムの『Perspectives Old And New On Paul: The "Lutheran" Paul And His Critics』のページがヒットしました。
(以下の画像はその関連部分を切り取ったもの)
この本は2003年のもので、「彼の1988年の著作『Israel's Law and the Church's Faith』をさらに深めたもの」とのブルース・ロングネッカー評があります。
この本では「ルター的パウロ(信仰義認)解釈」をアウグスティヌスから、ルター、カルヴィンとたどり、さらに「第4章 ジョン・ウェスレー」までトレースしています。
そう言う本なのですね。まさに引用された文章(実際の引用は同ページの脚注にあります)は「ルター的ウェスレー」を示すものなわけです。
先ほどの「オルド・サリューティス」でいうと、まず「自然状態(まだ福音を聞くには相応しくない段階)」、それから「律法」による「認罪」、そして福音提示→「回心=救いの開始」という順序が垣間見られます。
さてライトの信仰義認論はというと、(ここではメモの役割なので論じませんが)先ずウェスターホルムのことを名前を挙げてライトが自分のことを間違って解釈している人物として言及している文書を紹介しておきます。
これは反射的なメモです。まだちゃんと読んでも、考えてもいません。
最初にこのツイートに反応したのだ。
'I do not find [justification by faith] to be a profitable subject to an unawakened congregation'. J Wesley, 23/3/77 pic.twitter.com/M6nqja5Hxv
— Howard A Snyder (@SnyderWineskins) 2016, 1月 26
これを読んで、「えっ」と思い、「でもやっぱりそうか」と頷いたわけ。アン・アウェイクンドとは「認罪」の段階に至っていない、つまり「福音(信仰義認)」を聞く必要に至っていない段階であることを示唆しているウェスレーの言葉なのだろうと取ったわけです。
つまりライトの信仰義認の理解の枠組みとは異なるわけで、そこにまず反応したわけです。
※しかし、ウェスレーの救済論が基本的に「宗教改革神学」に基づき、「救いの順序(オルド・サリューティス)」に則って展開されているわけですから、ウェスレーの理解自体は不思議でもなんでもないのです。
ただある期間ライトの信仰義認論を聞いてきた後でこのような文章にいきなり接すると、やはり、まず「えっ」となるわけです。
さてそれから次に試してみたことなのですが、この文章全体ググってみたら、グーグル・ブックスで、スティーブン・ウェスターホルムの『Perspectives Old And New On Paul: The "Lutheran" Paul And His Critics』のページがヒットしました。
(以下の画像はその関連部分を切り取ったもの)
この本は2003年のもので、「彼の1988年の著作『Israel's Law and the Church's Faith』をさらに深めたもの」とのブルース・ロングネッカー評があります。
この本では「ルター的パウロ(信仰義認)解釈」をアウグスティヌスから、ルター、カルヴィンとたどり、さらに「第4章 ジョン・ウェスレー」までトレースしています。
そう言う本なのですね。まさに引用された文章(実際の引用は同ページの脚注にあります)は「ルター的ウェスレー」を示すものなわけです。
先ほどの「オルド・サリューティス」でいうと、まず「自然状態(まだ福音を聞くには相応しくない段階)」、それから「律法」による「認罪」、そして福音提示→「回心=救いの開始」という順序が垣間見られます。
さてライトの信仰義認論はというと、(ここではメモの役割なので論じませんが)先ずウェスターホルムのことを名前を挙げてライトが自分のことを間違って解釈している人物として言及している文書を紹介しておきます。
CTR: In what way do you feel your adversaries have misrepresented your teaching on the NP?WRIGHT: Starting at the top ...the most remarkable misrepresentations—remarkable because they come from an internationally famous scholar—are those of Stephen Westerholm in his recent book. He insists on a complete disjunction: either Paul’s language about justification is all about how sinners get saved by God’s grace, or it’s all about how Gentiles get in to the community without being circumcised. The silly thing is that, though some NP advocates may sometimes have implied something like this, I certainly have not. My commentary on Romans in the New Interpreters Bible should make this clear.
次に、ライトが「伝統的信仰義認論」(つまりオルド・サリューティスの順でいうと、回心と義認を同一時期のものと扱う論) に対して、「召し」(回心に相当するものだが、敢えてパウロの語彙を使う)と「義認」とは異なるフェーズのものであることを端的に説明している文書を紹介しておく。
ラベル:
NPP,
ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ,
救いの順序,
信仰義認,
本の紹介
2016年1月5日火曜日
FB読書会 2015年12月近況
2016年となりました。
今年もよろしくお願いします。
さっそく恒例の月例報告です。
12月はまあまあの進行振りでした。
以下順に担当者の文章を一部抜粋して紹介します。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)をI氏担当。
第8章「イエス――救出と刷新」
イントロ(150-155)をMH氏担当。
またライトの神学についての講演が案内されました。
その他、ライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)のクリスチャントゥデイ記事の案内がありました。
12月の入会者数は3名で、トータル193名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
今年もよろしくお願いします。
さっそく恒例の月例報告です。
12月はまあまあの進行振りでした。
以下順に担当者の文章を一部抜粋して紹介します。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)をI氏担当。
イエスは1世紀のユダヤ人でしたが、1世紀のどのようなユダヤ人であったか、と問いかけられています。福音書は信頼できるのか(138-143)をY氏担当。
その前に、1930年代のドイツの神学者たちのイエス像にも触れられています。反ユダヤ的とさえ形容できるほどユダヤ人とかけ離れた人物としてイエスが描かれていたことに言及されています。・・・
ルターの時代から、キリスト教からユダヤ的な要素を排除する傾向はありました。その延長線上で1930年代にナチスが台頭した当時、ドイツの神学者たちの間で反ユダヤ的色彩は著しかっ たようです。
学問というものが、必ずしも純粋な意味での真理探究ではなく、様々な世相や思惑に影響されることは良くあることです。そして、神学も聖書学 も、けっして例外ではありません。
なぜトマス福音書などの外典に正典性が認められないのか?・・・神の王国、それではイエスは(143-149)は小嶋が担当。
それは四福音書が旧約聖書のイスラエルの物語(原文ではストーリー)の延長線上に、そしてそのクライマックスとしてイエスのストーリーを語っているのに対し、外典にはそのようなストーリーが存在しない、あるいは全く別のストー リーを語っているからだ、ということです。
世界はついに正しい方向へと向かうことになった。神の王国がいま到来したと語ることは、すべてのナラティブが集約されることであり、そのクライマックスに至ったことの宣言である。まさに神の未来が、現在に突入しようとしている。天が地に到来しようとしている。(144)イエスの神の国運動は「イスラエルに全く新しいチャレンジを与えた。」(145)と指摘しています。その一つが「愛敵の教え」に代表される山上の垂訓の教えです。
これは非常に理解されるに、受容されるに困難なチャレンジあったことが強調されています。イエスの取った戦略としては、①象徴的行動と、②物語りでこの困難なチャレンジの浸透を図るというものでした。
第8章「イエス――救出と刷新」
イントロ(150-155)をMH氏担当。
ちょうど、メガネ屋が度数の異なるレンズを何度も取り換え、目の前のスクリーンの文字が読めるようになるまで調整するように、私たちもイエスが何のため、 またなぜその任に招かれたのか、それをどのように信じていたのかを理解するためには、これらすべてのテーマとイメージを、こころにしっ かり理解しておく必要がある。その他「パウロ」スレッドにT氏が「ピリピ2章6-11節の背景にイザヤ53章を見るというライトさんの解釈の釈義部分だけ」ですが投稿してくださいました。
(案外大事なのは、イエスが何のために来たのか、それをどう旧約聖書から読み解いたのか、そして、その最終目的とは何か、ということを考えることは実に大事なような気がします。そして、案外これがなされていないような気がします。)
またライトの神学についての講演が案内されました。
2016年1月19日(火) 13:30~16:00
「N・T・ライトの神学ーその一断面ー」
場所 聖契神学校チャペル
講師 山﨑ランサム和彦師
その他、ライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)のクリスチャントゥデイ記事の案内がありました。
12月の入会者数は3名で、トータル193名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
ラベル:
FB読書会,
クリスチャンであるとは,
月例報告
2015年12月3日木曜日
FB読書会 2015年11月近況
恒例の月例報告です。
11月はまあまあの進行振りでした。
さて10月月例報告では、6章の最後の部分がまだ残っていました。それを小嶋が担当しました。
第6章「イスラエル」―ヤハウェのしもべ/ナザレのイエスに(127-130)
そしてようやく第7章に入るわけでしたが、担当者が決まるのにてまどりゆっくりペースで進みました。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イントロ(131-133)をMH氏が担当しました。
氏の感想は
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)、はI氏が担当しました。
11月は読書会メンバーが関わっている学会の発表会や講演会等があり、その報告がありました。
1. 第18回 神戸改革派神学校・神戸ルーテル神学校 合同神学シンポジウム
日時:2015年11月6日
場所:神戸ルーテル神学校
橋本昭夫教授(神戸ルーテル神学校)が「N.T.ライトの義認論」、で発表されました。
2. 日本福音主義神学会東部部会
日時:2015年11月16日
場所:お茶の水クリスチャンセンター
安黒務氏が「義認と審判に関する一考察」で講演なされたようです。
その他、いよいよライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)がいよいよ12月10日に発売予定です。
クリスマスプレゼントに是非。
また、11月の入会者数は2名で、トータル190名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
11月はまあまあの進行振りでした。
さて10月月例報告では、6章の最後の部分がまだ残っていました。それを小嶋が担当しました。
第6章「イスラエル」―ヤハウェのしもべ/ナザレのイエスに(127-130)
第6章最後の部分に当たるわけですが、「旧約聖書のストーリーが全体としてどこに向かっているのか」、ということを最後にまとめて(スレッドを束ねて、といってもいいか)「新約聖書のメッセージ=ナザレのイエス」に繋ぐ・・・という役割をしているように思います。といったようなことを書きました。
(最初に一箇所引用)
イスラエルの神は王であり、バビロンの神々はそうではない、という政治的メッセージの中心で、捕囚と回復の物語が、ある人物に関する預言へと向けられて いるのが分かる。それはあたかもその先にある、神、イスラエル、世界のそれぞれの物語の流れが一つにまとまる在処(ありか)を示す、霧の中に立つ不思議な 道しるべのようのようである。(128)ライトにとってイザヤ40―55は、ダニエル7章とともに「イエスに焦点を合わせて聖書全体のナラティブを読み解く」上で特別重要な箇所だと思うのです が、ここでは特に「苦難のしもべ」を中心に、イザヤ40―55の主要物語りスレッドをどう読み解くか、という攻め方(アプローチ)のあらすじを提供してい ると思います。
そしてようやく第7章に入るわけでしたが、担当者が決まるのにてまどりゆっくりペースで進みました。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イントロ(131-133)をMH氏が担当しました。
氏の感想は
この部分は、キリスト教とその周辺(特に西ヨーロッパとアメリカ大陸)での”キリスト教”への誤解をきっぱり言い切っているように思いました。日本の教会 でこれを明白に言うと、”炎上”することは覚悟せねばなりませんが、案外、我々がキリスト教だと思っていることに対して、それはそれでいいのか?というこ とを、西ヨーロッパを背景としたN.T.ライト先輩がきちんと突き付けているという意味で、この部分はあっさり読み飛ばしそうになる部分ですが、非常に大 事な部分だと思います。というものです。
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)、はI氏が担当しました。
結論的には、イエスは1世紀のユダヤ人でしたが、1世紀のどのようなユダヤ人であっ たか、という問いかけられています。その前に、1930年代のドイツの神学者たちのイエス像にも触れられています。反ユダヤ的とさえ形容できるほどユダヤ 人とかけ離れた人物としてイエスが描かれていたことに言及されています。日本のキリスト教界では余り知られていないことかもしれませんが、ルターの時代か ら、キリスト教からユダヤ的な要素を排除する傾向はありました。その延長線上で1930年代にナチスが台頭した当時、ドイツの神学者たちの間で反ユダヤ的 色彩は著しかったようです。学問というものが、必ずしも純粋な意味での真理探究ではなく、様々な世相や思惑に影響されることは良くあることです。そして、 神学も聖書学も、けっして例外ではありません。と締めくくっています。
11月は読書会メンバーが関わっている学会の発表会や講演会等があり、その報告がありました。
1. 第18回 神戸改革派神学校・神戸ルーテル神学校 合同神学シンポジウム
日時:2015年11月6日
場所:神戸ルーテル神学校
橋本昭夫教授(神戸ルーテル神学校)が「N.T.ライトの義認論」、で発表されました。
2. 日本福音主義神学会東部部会
日時:2015年11月16日
場所:お茶の水クリスチャンセンター
安黒務氏が「義認と審判に関する一考察」で講演なされたようです。
その他、いよいよライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)がいよいよ12月10日に発売予定です。
クリスマスプレゼントに是非。
また、11月の入会者数は2名で、トータル190名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
ラベル:
FB読書会,
クリスチャンであるとは,
月例報告
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