やはり、ナラティブに関してです。
"Once [people] accept a particular narrative, they become blind to alternative moral worlds" - @JonHaidt— Preston Sprinkle (@PrestonSprinkle) 2017年1月17日
プレストン・スプリンクルは新約聖書学の人で、2007年にアバディーン大で博士号を取得しています。引用されている社会心理学者ジョナサン・ハイトの言ですが、こう言う本を書いていることからも分かるように、(政治的)意見の対立を心理学的に分析しているようです。
NPP(The New Perspective on Paul) に関しても、分かりやすい「入門的まとめ」記事をブログにアップしています。
人はなぜ(対立する相手の)「道徳的世界観」に対して盲目になるのか・・・は、福音書の場面に置き換えると、イエスとパリサイ人の対立が思い浮かびます。
ライトは世界観の対立をナラティブの対立として分析しますが、全く異質のナラティブの対立ではなく、「(かなりの部分共有する)世界観の解釈を巡る対立」として分析します。
ゆえに、イエスの「たとえ話」は、対立する相手(パリサイ人に限らないと思いますが)が有する支配的な「イスラエルのストーリー」を内側からひっくり返す(subvert)ような解釈、オルタナティブ・ナラティブを提示しているのではないか、という分析になるのだと思います。
まっ、「イエスのたとえばなし」解釈への一つの「窓」として読んでいただければいいかな、と。