2018年1月3日水曜日

FB読書会 2017年12月報告

明けましておめでとうございます。
今年もN.T.ライト読書会(リアルとフェイスブックともども)よろしくお願いします。


いつものように先月12月の報告をば。

12月は11章残りの部分と、12章をカバーしました。
今回は担当者が揃ったので《感想》も一部交えてご紹介しておきます。

第11章 空間、時間、そして物質(233-264)


新しい種類の革命(256-264)

《引用箇所》 第一の間違った見方は、人々に「天国に行く方法」を教えにイエスがこの世に来られたと考えることである。(中略)イエスが語ったことは、神はまさにいまここで、「地上」において支配を始められたのであり、人々はこのことの実現のために祈るべきであり、またイエスご自身の働きのうちに、それが実際起きているしるしを認識すべきだ、ということだった。(256)
《感想》 (中略)ライトさんの著書に出会えて良かったと思ったのは、すでに分かり切っていると思っていることについて再考する、ということを教えられたからです。教会で教えられている解釈も、いつからか、誰かが言い始めたことであって、時間とともに作り上げられてきたものに他ならない。それをまるで聖書とセット梱包された、改変してはならないもののように扱ってしまっていたのではないか、ということに気づかされたのです。
第12章 嵐のただ中に(265-291)

イザヤ書の僕(しもべ)(265-279)
《引用箇所》  ローマは背後に控え、いつものやり方で帝国の要求と野望とを押し付けようとしていた。イスラエルもまた、過越の祭りを祝いながら民族の解放と異教徒に対する勝利を待ち望んでいた。そしてイエスが「アッバ、父よ」と呼んだ神は、ある使命のためにイエスをこの世に送ったが、その使命は、ローマのものともイスラエルのものとも異なっていた。その使命は両方からの妨害に遭い、絶望的で悲惨な失敗に終わりそうに見えた。私たちがこうした全体像を持ち続けることができれば 、イエスが何者で、なぜあのように行動したのかを理解する途上にいる。(266-7)

《感想》 パーフェクトストーム(「ローマ帝国からの圧力と、イスラエルの千年越しの希望がぶつかりあうところに、さらに別の角度から激しく吹き込む不可思議かつパワフルな神ご自身の目的が出会うところ」)のメタファーは、実は私はあまりピンときていなかったのですが、ようやく見えてきたような気がします…
ダニエル書、人の子(279-287)
《引用》 「不正なぶどう園の農夫たち」が主人の「息子」を殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまったとき、主人は帰ってきて彼らに復讐する。これは詩篇118篇22節の成就となるだろう。・・・すべてが一致している、すべてが同じ聖書の物語と共鳴している。(285-6)
 《感想》 ダニエル7章(人の子)、ダニエル2章(石)、次に福音書のイエス語録での「捨てられた石」を関連付けたことが大きいと思う。
つまり「神が王となるストーリー」であるダニエル書7章だけでなく、2章の「石」も同様「神が王となるストーリー」であることをくっきりさせたことで、十字架の「苦難」が「王国樹立」ストーリーであることを意識させられた。
ゼカリヤ書の王(287-291)
《引用》 わたしたちのここでの目的にとって注目すべき大切な点は、ゼカリヤがイザヤやダニエルと同じく、三本の線が一つに収斂していくのを思い描いていたことである。すなわち、神とその民に戦いを挑む邪悪な異教の国々、失敗したユダヤ民族の指導者達、そして他の誰も成し得ないことを成し遂げるために来られる神である。この3つは、イエスがそう見ていたように、パーフェクト・ストームを形成する三要素である。(290)
《感想》 マタイ22章の王子の婚礼のたとえ話ともどこかでつながっているような気がしています。この終末に関するマタイ22章の王子の婚礼での出来事の話は、現代人としては、当惑してしまうようなたとえ話なのですが。

以上12月の報告でした。

「新規入会メンバー」について。  2017年12月は、入退会者ともに0名で、トータル233名のままでした。


以上、ご報告まで。

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