先ずは本書の進展について。
まだ入会新しいMさんが担当したのは、
第四章『この地の美しさのために』、59-68ページ
Mさんのアプローチは、
第一部「ある声の響き」は、伝統的神学の用語でいえば、自然啓示の部です。自然啓示とは、神は外的自然・内的自然(理性)をとおして、私たちに語ってくださるという教理です。というもので、キリスト教神学に慣れた方々が読むとそういう印象を強くもたれると思います。
こちらでも
『クリスチャンであるとは』は「神の存在証明」の現代(ポストモダン)版、ではないか。との見立てをいわれた方がおりました。
一見「オーソドックスな啓示論に基づいた弁証論(キリスト教的な視点から『神はいる、そしてご自身を自然等を通して啓示している』と証明する議論)」に見えますが、(そして確かに内容的にはかなり重なる部分もありますが)、アプローチとしてはポストモダンの懐疑主義やニヒリズムを意識した(彼らの内懐に入ろうとする)議論ではないかと思うのですが・・・。
その点を意識していただくと、もちょっと面白く読めるのではないかと思います。
次に、MHさんが、4章の残り『美と神と・・・』以降、68-77ページを担当されました。
最高傑作の実態は作曲家の頭の中に在って、現時点で人間の側で演奏する準備がない、という表現で、本書冒頭に在った在る作品の部分譜が見つかった話と結び付けていて、我々の世界の不完全さを示しています。と、その後イザヤ11章の箇所(創造された良き世界が回復されたイメージ) と続くわけですが、プラトン的な「イデアの世界」方向に完全を求めるか(結果は物質世界の軽視否定)、それとも現状不完全ながらも(将来に回復を希望する)世界肯定にとどまるか、選択が分かれます。
『複雑な世界に、複雑な人生に』、71-77ページ、についてMHさんは
「複雑さと単純さ(our complexity and our simplicity)を、次の5つの事をし続ける事で誇りに思い、そして楽しみ、祝う。即ち、私たちは物語を語る。儀式を執り行う、美を作り出す。コ ミュニティで働く、信仰を表明し、考える。」p.74は個人的にあぁ、N.T.ライト先輩はやっぱりアングリカンコミュニオンの人だなぁ、と思ったのです。
この辺りの複雑さを喜ぶということは、単純さ、分かりやすさを主眼に据えたアメリカ的なキリスト教のかなりの部分と違うなぁ、と思ったのです。特に、 「儀式を執り行う、美を作り出す。コミュニティで働く」という部分は、割とプロテスタントでは弱い部分なので、そこらをどう考えるのか、というのは個人的な問いです。という感想をもたれました。
この「生活の細部」まで意味と意義に満ちた人生が、すなわち神の造られた世界に対する「イエス(肯定)」ではないかと、思われるのですね。
本書の方の進展は7月中はここまででした。
8月に入って早速第5章に進みましたが、それは次回ご報告します。
その他のことで言うと、当ブログで案内や報告したとおり、7月は『クリスチャンであるとは』の訳者上沼氏が来日して各地でセミナーや勉強会、キリスト教書店での講演会が催され、賑やかな月でした。
また、『クリスチャンであるとは』書評として、長田さんのブログ記事を紹介しました。
章ごとに要約されていて、ところどころご自分の「気づき」や「疑問」を挿入されています。
注意深く本書の視点と内容を掴まえていると思いますし、「ニュアンス」について今後の理解の課題とされている箇所も重要なポイントが挙げられています。
おすすめです。
また、7月の入会者数は8名で、トータル161名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
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