一番最初にライトの伝記?で、カナダ、マッギル大時代のことを書いた。
ライトが「コロサイ・ピレモンの註解(ティンデル聖書註解シリーズ)」執筆中に
By the time I finished it in 1985 I had undergone probably the most significant change of my theological life.と言及している、「回心的」出来事がある。
この体験前には「リアリティーは二つの領域に分裂したまま」で、「福音のリアリティーが一方にあり、他方に世界と政治のリアリティー」が別々に並存して体験されていた、というのである。
その「分裂したリアリティー」が一つのものになったのが、マッギル時代であり、特にコロサイ註解執筆を通してであった、というのである。
この伝記的文章はとても短く、どのような形でそうなったのかは殆ど説明されていない。
今のところ推測するしかないが、幾らか光を当てる材料がネットに提供されているので少しずつ紹介していこうと思う。
J・リチャード・ミドルトン(J Richard Middleton)は日本では殆ど無名だと思うが、ノースイースタン神学校の「聖書的世界観/釈義」担当教授である。
1976年ごろ、リチャードは「被造世界全体が神の贖いの対象であり、それが新約聖書が目指しているゴール」であることを、ライトとは独立して把握するようになった。
しかし、そのポイントは周り(生徒たち)からは「奇異な見解」の持ち主と見られていた。
しかし、「ほぼ同様の聖書理解」の持ち主であるライトの登場で、状況は変わった。
共通の友人であったブライアン・ウォルシュ通じてライトと親しくなっていった。
その経緯をリチャードが自身のブログで4回に分けて書いている。
トム・ライトとのつながり、その1
トム・ライトとのつながり、その2
トム・ライトとのつながり、その3
トム・ライトとのつながり、その4
このレポートの中で、リチャートが挙げる具体的なコネクションは、
(1) (リチャードの友人・共著者)ブライアン・ウォルシュ、そして妻のシルビア・キースマートがともにライトの(博士課程の)学生であった。
(2) 1988年と1989年のライトの講義(Institute for Christian Studies in Toronto)
(3) ライトがリチャードとブライアンの共著、The Transforming Visionから「世界観の4設問」をNTPGとJVGに活用したこと。
(4) (そして最も肝心な)ライトが二元論的世界観を脱却する媒介となった
ことなどである。
興味深いエピソードも含めて、詳細は4連記事を読んで頂くとよい。
ただ肝心の「ライトの二元論的世界観からの脱却」に関してリチャードの観察を少し引用しておこう。
As Brian tells it, he kept challenging the sacred/secular dualism with which Wright was reading Colossians. Wright kept separating salvation in Christ from life in the mundane realm (including the political realm). But according to Colossians 1:15-20, the same Christ through whom all things were created, and in whom all things hang together, is the one whom all things are reconciled. The creator and redeemer are one.これによると、ライトとブライアンがコロサイ1章15-20節をどう理解するかで「意見の交換」したことが大きな要因となっている、というものである。
ライト側はどうだったのか聞きたいが、NTPG, JVG, PFGでも「そのこと」の詳細には触れていないようである。
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