11月はまあまあの進行振りでした。
さて10月月例報告では、6章の最後の部分がまだ残っていました。それを小嶋が担当しました。
第6章「イスラエル」―ヤハウェのしもべ/ナザレのイエスに(127-130)
第6章最後の部分に当たるわけですが、「旧約聖書のストーリーが全体としてどこに向かっているのか」、ということを最後にまとめて(スレッドを束ねて、といってもいいか)「新約聖書のメッセージ=ナザレのイエス」に繋ぐ・・・という役割をしているように思います。といったようなことを書きました。
(最初に一箇所引用)
イスラエルの神は王であり、バビロンの神々はそうではない、という政治的メッセージの中心で、捕囚と回復の物語が、ある人物に関する預言へと向けられて いるのが分かる。それはあたかもその先にある、神、イスラエル、世界のそれぞれの物語の流れが一つにまとまる在処(ありか)を示す、霧の中に立つ不思議な 道しるべのようのようである。(128)ライトにとってイザヤ40―55は、ダニエル7章とともに「イエスに焦点を合わせて聖書全体のナラティブを読み解く」上で特別重要な箇所だと思うのです が、ここでは特に「苦難のしもべ」を中心に、イザヤ40―55の主要物語りスレッドをどう読み解くか、という攻め方(アプローチ)のあらすじを提供してい ると思います。
そしてようやく第7章に入るわけでしたが、担当者が決まるのにてまどりゆっくりペースで進みました。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イントロ(131-133)をMH氏が担当しました。
氏の感想は
この部分は、キリスト教とその周辺(特に西ヨーロッパとアメリカ大陸)での”キリスト教”への誤解をきっぱり言い切っているように思いました。日本の教会 でこれを明白に言うと、”炎上”することは覚悟せねばなりませんが、案外、我々がキリスト教だと思っていることに対して、それはそれでいいのか?というこ とを、西ヨーロッパを背景としたN.T.ライト先輩がきちんと突き付けているという意味で、この部分はあっさり読み飛ばしそうになる部分ですが、非常に大 事な部分だと思います。というものです。
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)、はI氏が担当しました。
結論的には、イエスは1世紀のユダヤ人でしたが、1世紀のどのようなユダヤ人であっ たか、という問いかけられています。その前に、1930年代のドイツの神学者たちのイエス像にも触れられています。反ユダヤ的とさえ形容できるほどユダヤ 人とかけ離れた人物としてイエスが描かれていたことに言及されています。日本のキリスト教界では余り知られていないことかもしれませんが、ルターの時代か ら、キリスト教からユダヤ的な要素を排除する傾向はありました。その延長線上で1930年代にナチスが台頭した当時、ドイツの神学者たちの間で反ユダヤ的 色彩は著しかったようです。学問というものが、必ずしも純粋な意味での真理探究ではなく、様々な世相や思惑に影響されることは良くあることです。そして、 神学も聖書学も、けっして例外ではありません。と締めくくっています。
11月は読書会メンバーが関わっている学会の発表会や講演会等があり、その報告がありました。
1. 第18回 神戸改革派神学校・神戸ルーテル神学校 合同神学シンポジウム
日時:2015年11月6日
場所:神戸ルーテル神学校
橋本昭夫教授(神戸ルーテル神学校)が「N.T.ライトの義認論」、で発表されました。
2. 日本福音主義神学会東部部会
日時:2015年11月16日
場所:お茶の水クリスチャンセンター
安黒務氏が「義認と審判に関する一考察」で講演なされたようです。
その他、いよいよライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)がいよいよ12月10日に発売予定です。
クリスマスプレゼントに是非。
また、11月の入会者数は2名で、トータル190名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
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