今年もよろしくお願いします。
さっそく恒例の月例報告です。
12月はまあまあの進行振りでした。
以下順に担当者の文章を一部抜粋して紹介します。
第7章「イエス」―神の王国の到来
イエスについてどこまで知ることができるのか(134-138)をI氏担当。
イエスは1世紀のユダヤ人でしたが、1世紀のどのようなユダヤ人であったか、と問いかけられています。福音書は信頼できるのか(138-143)をY氏担当。
その前に、1930年代のドイツの神学者たちのイエス像にも触れられています。反ユダヤ的とさえ形容できるほどユダヤ人とかけ離れた人物としてイエスが描かれていたことに言及されています。・・・
ルターの時代から、キリスト教からユダヤ的な要素を排除する傾向はありました。その延長線上で1930年代にナチスが台頭した当時、ドイツの神学者たちの間で反ユダヤ的色彩は著しかっ たようです。
学問というものが、必ずしも純粋な意味での真理探究ではなく、様々な世相や思惑に影響されることは良くあることです。そして、神学も聖書学 も、けっして例外ではありません。
なぜトマス福音書などの外典に正典性が認められないのか?・・・神の王国、それではイエスは(143-149)は小嶋が担当。
それは四福音書が旧約聖書のイスラエルの物語(原文ではストーリー)の延長線上に、そしてそのクライマックスとしてイエスのストーリーを語っているのに対し、外典にはそのようなストーリーが存在しない、あるいは全く別のストー リーを語っているからだ、ということです。
世界はついに正しい方向へと向かうことになった。神の王国がいま到来したと語ることは、すべてのナラティブが集約されることであり、そのクライマックスに至ったことの宣言である。まさに神の未来が、現在に突入しようとしている。天が地に到来しようとしている。(144)イエスの神の国運動は「イスラエルに全く新しいチャレンジを与えた。」(145)と指摘しています。その一つが「愛敵の教え」に代表される山上の垂訓の教えです。
これは非常に理解されるに、受容されるに困難なチャレンジあったことが強調されています。イエスの取った戦略としては、①象徴的行動と、②物語りでこの困難なチャレンジの浸透を図るというものでした。
第8章「イエス――救出と刷新」
イントロ(150-155)をMH氏担当。
ちょうど、メガネ屋が度数の異なるレンズを何度も取り換え、目の前のスクリーンの文字が読めるようになるまで調整するように、私たちもイエスが何のため、 またなぜその任に招かれたのか、それをどのように信じていたのかを理解するためには、これらすべてのテーマとイメージを、こころにしっ かり理解しておく必要がある。その他「パウロ」スレッドにT氏が「ピリピ2章6-11節の背景にイザヤ53章を見るというライトさんの解釈の釈義部分だけ」ですが投稿してくださいました。
(案外大事なのは、イエスが何のために来たのか、それをどう旧約聖書から読み解いたのか、そして、その最終目的とは何か、ということを考えることは実に大事なような気がします。そして、案外これがなされていないような気がします。)
またライトの神学についての講演が案内されました。
2016年1月19日(火) 13:30~16:00
「N・T・ライトの神学ーその一断面ー」
場所 聖契神学校チャペル
講師 山﨑ランサム和彦師
その他、ライトの『新約聖書と神の民 上巻』(新教出版)のクリスチャントゥデイ記事の案内がありました。
12月の入会者数は3名で、トータル193名となりました。
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。
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