2017年6月1日木曜日

FB読書会 2017年5月報告

『シンプリー・ジーザス』を読み始めて2ヶ月が過ぎました。
まだかなりゆっくりペースです。

いつものように「担当者」が本著から引用した部分を紹介します。
どんなところに関心を持っているかがお分かりになるのではないかと思います。


第3章(37-58)


「歴史の複雑さという問題」(49-58)
     これらの非常に雑多な資料から、当時の人々がイエスの言動を見て納得した理由を説明できる時代背景を再構築しなければならない。それは、当時のある人々をしてイエスが神のメシアであると信じさせ、また他の人々には彼を速やかに殺害しなければならないと思わせる充分な時代背景でなければならない。(51)

     しかし、本物の歴史と向き合いたいなら、別の時代の異なる地域の人々は、私たちと著しく異なっていことを認めねばならない。歴史に取り組むためには、自制心を伴う想像力を働かせ、私たちととても違っていた人々に共感できるよう最善を尽くさねばならない。(54)

    ・・・そこから研究を始めることのできる「定まった点」など存在しない。あなたが資料を扱う方法には、あなたがどのようにイエスについて理解しているかという予断が反映されてしまうからだ。
     まったく同様に、あなたのイエス理解は、あなたの資料理解に反映されてしまう。しかしこれは悪い循環ではない。・・・つまり私たちはよくよく注意を払い、研究対象と資料の両方について理にかなった理解をしているかを確認しながら研究を進めていかなければならないのだ。(56-7)
第4章(59-74)

「ローマ帝国という嵐」(59-66)

(この部分から担当が替わりました。引用ではなく、ここまでのまとめも含め、簡単な解説風の文章にまとめていただきました。)

「ユダヤの風」(66-74)
    ・・・ユダヤの人々とその祖先たちは、彼らのストーリーがある方向へ、あるゴールへと向かっていると信じていた。または、預言者たちからそう信じるようにと言われてきた。いくつもの挫折や失望にもかかわらず、彼らの神は、彼らがゴールへとたどり着くことを約束していた。(68-9)

    ローマ人たちは、現在の「黄金時代」から過去を振り返り、自分たちのストーリーがどのように現時点いまで到達したのかを理解する懐古的な終末論を抱いていた。しかしユダヤ人たちは明らかに黄金時代とは呼べない現状から、自分たちの権利だと信じていた自由、正義、そして平和がもたらされる未来を眺望し、その到来を待ち望み、熱烈に祈っていた。つまりユダヤ人たちは未来志向の終末論を心に抱き、祝っていた。(69)
     メア・シャリム地区の多くの家族は、ホロコースト時代に東ヨーロッパから逃れてきた人たちだ。この時期の教父が、彼らの想像力を掻き立てて、ヒトラーがあのようなことを行ったのだから、いまこそ、先祖伝来の律法を守らねばならない。ヒトラーがあのようなことを行ったのだから、いまこそ神が新しいことをなさるだろう。(中略)
     イエスの時代には、ヒトラーの名が別の名前に変わるものの(カエサルかヘロデ)、それが当時の人々が耳にしたメッセージだった。巨大な悪の帝国と来るべき王なる解放者という2つのテーマは、出エジプトに一定の起源を持つ。その時、モーセはエジプトのファラオからイスラエルを開放した。このテーマは、イスラエルの早朝時代とその時代に人々の上に降り掛かった民族的大惨事の長大なストーリーによって、さらに強力なものとなる。(72)

以上5月中には「4章」は終わりませんでした。

最後に「新規入会メンバー」について。 
2017年5月は、入会1名、退会1名で、トータル218名は変わりません。

以上、簡単ではありますが、ご報告まで。

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