2014年3月18日火曜日

フルタドのPFG書評開始

ライトのパウロ研究に関するマグナム・オパス(主著、大著)となるPaul and the Faithfulness of Godについての書評は、このブログでも紹介した通り何人もの学者仲間たちが行なった(ウィザリントンはまだ継続中。現在シリーズ24回目がアップされている。)

今度はラリー・フルタドの番だ。リンク

ライトはそのアカデミック・スタンスが内容的にはかなり保守なのに、学友であったマーカス・ボーグやジョン・ドミニク・クロッサンなどとの対話を厭わない、オープンな学者だ。

しかし盟友と言う間柄もある。
最近は少々ぎごちなくなった感があるリチャード・ヘイズなど。

ラリー・フルタドとの距離はこの記事にもあるように「信頼関係」がベースにあるようだ。
しかし昨年Theologyと言う専門誌から書評を頼まれ、1600ページを超える大著に対し与えられた語数(字数ではない)1800と言う極めて限られた制約の中で賞賛の言葉だけでなく、幾つか疑問点や見解相違点も盛り込む、と言う仕事を果たしたようだ。(雑誌の出版はまだ。)

当然盛りきれなかった事柄はかなりあるようで、それが今回の自分のブログでの投稿となったようだ。

最初にフルタドが取上げたポイントは「義認」だ。

As an example, I found stimulating his emphasis that in Paul the “justification” of believers is essentially God’s eschatological judgment, extended now to those who put faith in Jesus’ vindication expressed in God raising him from death and exalting him to heavenly glory.
この下線部分は、既にジョン・パイパーとの論争で著わされた


Justification-Gods Plan and Pauls Visionでも示されたように「現在の義認と終末の義認との関係」にかかわってくることだ。

さてどんな書評になるか楽しみに読ませてもらおう。

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