2013年11月26日火曜日

「第2回N.T.ライト・セミナー」収録DVD

2013年10月9日に行なわれたセミナーの模様を収録したDVDが10部限定販売されています。(お早くどうぞ)



簡易な製作でお値段も下げてあります。

販売代行は、「本を枕に--スピリチュアルな日々」ブログ主、クレオパさん(あめんどう)です。


なお購入希望の方は「本を枕に--スピリチュアルな日々」サイトの『第二回N.T.ライト・セミナーを収録したDVDを発売中です』へどうぞ。

2013年11月6日水曜日

イエスの復活の身体②

さて、前回「復活後のイエスの身体性」が如何なるものであったか、そのような疑問の一つの入り口として「第2回N.T.ライト・セミナー」での「『イエス昇天後の遍在』における身体性の如何」の疑問について紹介した。

今回は前回紹介したように、ライトが「復活後のイエスの身体性」を提示する概念として造語した
transphysicality
について少し書く。

「神の子の復活」(キリスト教起源シリーズ第3巻目、2003年)において初めてtransphysicality
と言う造語が紹介された。

その最初の箇所(477-8+ページ)の文脈をかいつまんで言うと、
①「新約聖書の復活観」の結論を5つのポイントにまとめている部分である。
②(幾つかの復活観のオプションの中でも)パリサイ派の復活観が修正されたものであるとしている。
その要素として、
(A)(死者からの)復活が起こるとされた『終末』が(時系列的に)2段階に分けられた。
(B)将来与えられる復活の身体の性質は、「死ぬことも朽ちることも出来ない身体」であり、このような身体は、既に死んだ者たちも、イエスの来臨の時生きているキリスト者たちも、両方が「着せられる」ことになるのだが、それはトランスフォメーションを必要とする。

この(B)の部分を論述している過程で、ライトは(権威ある)オックスフォード英語辞典には見つからないtransphysicality(transphosphorylationと言う語と、transpicuousと言う後の間に入ることになるわけだが)と言う語を提案するわけである。

そしてライトはこの語の「使用範囲」と言うか、「目的」について制限を加える。

transphysicality、とは新約聖書記者が復活後のイエスの体が実際にどのような身体性を持ったものであるか、また将来キリスト者たちが持つようになるであろう復活の身体の詳細を描写した概念でも、またどのようにそのような身体性を獲得するかについて描写した概念でもない。

transphysicality、とは初代キリスト者たちがそのような復活の体が(変な言い方に聞こえるかもしれないが・・・筆者注)「十分身体的(robustly physical)」であり、現在持っている身体とは質的に異なるものである、と認識していたことは動かし難い事実であることを主張するために考案した「ラベル」のようなものである。 

「神の子の復活」で、ライトがtransphysicalityを使って論述している箇所は他に数箇所あるだけなので、この造語によって「復活の体の身体性」について何か理論的な考察をしているわけではないことは明らかである。
ただこの語を用いて「復活の体の身体性」が持つ特異な面について読者の注意を喚起しようとしていることは確かではないかと思う。

このことは、①パウロ書簡(特に第一コリント15章)を釈義する時もそうであるが、さらに②福音書において復活後のイエスについて(特にその身体性の特異性について)記述している箇所を釈義する時に必要な「枠組み」であることを示唆しているものと思われる。

(次回に続く) 

2013年10月28日月曜日

イエスの復活の身体①

先日(10月9日)持たれた「第2回N.T.ライト・セミナー(案内簡単な報告)」

 

天と地が出会う場所:神殿、イエス、そしてN・T・ライトの空間理解

 と言う基調講演をなされた鎌野氏は、その中で「神殿」の理解を、どのようにライトが「イエス」理解に繋げているかを

『天と地が出会う場所としてのイエス、そしてキリスト者共同体』

と言う部分で5つのポイントにまとめている。

その第5ポイントは以下のようになっている。(ネットではまだ公表されていない論文なのであしからず。)
第五に、イエスの昇天を通して、地におけるイエスの遍在が可能となった。天と地は全く同じ種類の空間ではない。地にいる限り、イエスはある特定の場所にしか 存在することははできなかっただろう。しかし、天は地に十分に浸透している。天にいるからこそ、イエスは地のあらゆる場所にいることが可能となった。イエ スは王として天の王座につき、そこから全地を導いているのだ(脚注31)。
※脚注31とは、ライトの2011年刊、Simply Jesus: A New Vision of Who He was, What He did, and Why He Matters、の191-2ページ(ペーパーバック版、ハードカバー版は、195-6ページ)。
この「イエスの遍在」ということについて、当日のセミナーで、フロアーから質問があった。
イエスの昇天によってイエスの肉体は現在遍在するのか。このような書き方だとイエスは肉体を持ったまま天に着座した、と読めるのですが・・・。
これに対して鎌野氏は(質問者は聖餐におけるイエスの臨在のことにも言及されたので)聖餐におけるイエスの臨在に関する理解が「象徴説」から、よりルター的 な、あるいはよりカトリック的な理解に近づきつつある、としながら「イエスの遍在」に関しては「遍在」が可能になったのだけれども、それは「汎神論」的な意味での「遍在」のあり方とは違う。
とおよそそのような回答をなされた。

筆者は基調講演へのレスポンデントとして同席していたのだが、この質問には人一倍関心があったので、ついでに意見を言わせて頂いた。

筆者は、ライトが「キリスト教起源」シリーズ第3巻の「神の子の復活」で、復活したイエスの身体が、パウロ(第一コリント15章)によれば「朽ちない身体に 変わった(トランスフォーム)」としているのをどう表現したら良いか探しあぐねて用いた言葉がtransphysicalityだ、と紹介した。
そしてその理解はSimply Jesusでも継続されている、と発言した。

しかしそもそも transphysicalityと言う言葉自体ライトの造語であるし、また果たして昇天の時のイエスの身体性は、復活後40日間弟子たちに顕現された時の身体性と同一であるかどうか、筆者は改めてその点を確認する必要があるのではないか、と思っている。

これはかなり推論的な思索にならざるを得ないので、ライトと言えどもそれほど「確実性」を主張していないものだと思う。

と言う訳でどこまでライトが言う transphysicalityに肉薄できるか分からないが、あくまで試論として、あるいは断想的なものとして書いてみようと思う。

(次回へ)



2013年10月13日日曜日

ライト・インタヴュー「パウロ研究論文集」

ライトの「キリスト教起源」シリーズの第4巻は、実際には4冊組のような形で出版されることはこのブログでも何度も案内してきました。

本体である「パウロと神の信実(Paul and the Faithfulness of God)」は1700ページの2冊組ですが、それと合わせて出版される「パウロ研究」論文集について、アズベリー神学校のベン・ウィザリントンがインタヴューをしています。


N. T. Wright's Pauline Perspectives Part 1
N. T. Wright's Pauline Perspectives Part 2

パート2では、ベン・ウィザリントンがこれまでの間に「義認」についての理解の変化があったかどうか、あったとしたらどのように変わってきたのか、と言う質問をしています。

それに対してライトは、初めの頃学者たちが提供している解釈が非常に不満足なものであるとの認識からスタートし、次第にクリアーになって行った経過を簡単に述べています。

①「神の義」(は人に分与されるものではないこと・・・旧約聖書)
②聖霊の働き
③「キリストにいる」のモチーフ
がライトの義認理解の発展に寄与している、と語っています。

次の部分にライトが言わんとしていることがよく出ていると思います。

The big thing to get across now, I think, is that the question ‘who then are the true family of Abraham’ and ‘how do I get my sins forgiven’ are not ultimately different questions. God called Abraham to undo the sin of Adam, so that to belong to Abraham’s family (Rom 4, Gal 3) is to be part of the family whose sins have been dealt with on the cross. Splitting these two themes apart, I now see in my old age, is the direct result of several false antitheses that have bedeviled western theology for long enough.

「義認」と「新生」の関係についての質問には殆んど答えていませんね。
ライトは新約聖書ではもっと違うことが中心的に語られている、と言っているようです。

2013年10月2日水曜日

PFG入門

PFGとは11月1日発売予定のライトの新刊、Paul and the Faithfulness of Godの略称です。

既に目次、イントロ、1章が出版社の「フォートレス」のサイトで読めるようになっています。(リンク

それに先立って、既に原稿を入手しているらしい、スコット・マクナイトが自分のブログで「入門」を開始したようです。

We will call it "PFG"

興味のある方はどうぞお早く。

2013年9月11日水曜日

ライトの新刊(詩篇)についてのCT記事

ライトの新刊といえば、

The Case for the Psalms

ですが、その本についての「クリスチャニティー・トゥデー誌」のインタヴュー記事が出ています。

N. T. Wright Wants to Save the Best Worship Songs
アンドリュー・バイヤース記者がインタヴューしています。




ライトの新刊についてのインタヴュー

出版予定が11月1日の
Paul and the Faithfulness of God
についてマイク・バードがインタヴューをやりました。




多分この映像がネットで入手できるライト教授の一番最近の画像と思われます。

今後の「パウロ研究」にどんな貢献をするか、とのマイクの問いに、ライト教授はかなり突っ込んだ回答を示しています。

もちろん本を読むまで、その全体像も、議論の展開も十分には分からないですが、このインタヴュー質問への回答だけでもかなりヒントとなるものがありそうです。

マイクのブログ記事のリンク