2014年12月12日金曜日

パウロ研究動向にシフト?

『福音の再発見』の著者で、「ニュー・パスペクティブ・オン・パウロ」の名付け親、ジェームズ・ダン教授(英国ダーラム大学)のもとで博士号を取得したスコット・マクナイト氏が、自身の「ジーザス・クリード」ブログで、
The Conversation Shifts
と題する記事を投稿した。

簡単に紹介すると、
(1)過去「20年以上」にわたってパウロ研究をリードしてきた「ニュー・パスペクティブ・オン・パウロ対オールド・パースペクティブ」(略して、NPP vs. OP) 論争がほぼ収束し、それに替わって
(2)「ニュー・パスペクティブ・オン・パウロ対アポカリプティック・パウロ」(略して、NPP vs. AP)論争が支配的になってきた。
つまり、パウロ研究での論争が、 NPP vs. OP、から、NPP vs. APにシフトしつつある、と言う観測である。

(1)についてのポイントは、既にこの記事にも少し書いておいたが、英語圏のアカデミックな世界では「収束」したと言っても、その外、特に日本では「まだこれから」観がある。

マクナイトが次のようにNPPの視点の意義を要約しているが、コンサイスでいいかな、と思う。
With the growing conviction that Judaism was a covenant and election based religion (Sanders, Wright) there came a radical change in how Paul’s opponents were understood and therefore what Paul was actually teaching. He was, to use the words of Dunn, opposing “boundary markers” more than self-justification.
「ユダヤ教は契約と選びに基づく宗教である」 と言う認識は、NPPの立場を取るマクナイトにとって、「アポカリプティック・パウロ」に対する疑問点のベースになるものだろう。
Concerns? Plenty. Where’s Israel, where’s the Story of Israel, where’s serious engagement with Jewish apocalypses (where one learns that many today do not think there is even such a thing as an apocalyptic worldview so much at work in the work of these apocalyptic Pauline specialists), where’s election, where’s the church, where’s the very problem that drove Paul — the vexed relation of Jews and Gentiles in the one people of God?
いずれにしても、ある種「論争」的なものが付きまとうのが「学会」であるとすれば、部外者としてはせめてその論争が鋭く対立することによって見えてくるものを期待するのもよしかなと思うが・・・。

2014年12月8日月曜日

FB読書会 2014年11月近況

10月近況」に続いて、11月近況を掲げられるとは・・・。

季節は早くも待降節に入りました。

最終章、15章 Reshaping the Church for Mission (2)、は(個人的な印象だが)残ったものを全部積み込んだ感じの長い章。

読書会の方も進展具合が緩慢になり、息の長いラストストレッチである。

さて、この章の、Resurrection and spirituality、と言うセクションを進んでいる。

New birth and Baptism(初担当のTさんがリード・・・ほぼ全訳してくださった)

ここでの討論は洗礼の形式(浸礼と滴礼) の違いが教会内で統一していないことで、他教会からの転入時、果たして異なる形式の洗礼を受容するかどうか・・・と言う問題に集中。

なかなか議論としては興味深かった。

Eucharist

洗礼に続いて聖餐ということで、サクラメント神学が話題になったが、聖餐の方では「職制」もかなり議論になった。

読書会に参加している方々はどちらかと言うとロー・チャーチ系で、さらに職制を認めない群れも加わっている。
「聖体」の象徴説か現臨説も議論されたが、プロテスタント教会史を大きくカバーする話題なので討論参加の方々のウンチクが披露された感もあり。

Prayer

この部分は余り討論が盛り上がりませんでした。
消化未了か・・・。

Scripture

霊性との関わりでの「聖書(を読むこと)」がテーマであったが、「ディスペンセーション主義」の話題に火が点いて、別スレッドでも議論が続いた。

11月の中では一番盛んな、ホットな話題となった感あり。


※どうやら最後の、Love、までリーダーの方の投稿がなされたので(討論はまだ進展していない)、年内には一応の「終了」宣言が出るかもしれません。

2014年11月11日火曜日

復活:学問と信仰

「イエスの復活の身体」と言うテーマで何回か投稿したのがそのままになっている。
イエスの復活の身体 ①
イエスの復活の身体 ②
イエスの復活の身体 ③
しばらく前、ネットでこんなものを見つけた。
原口尚彰『新約聖書の死生観』
本稿は2013年8月26日に東北学院大学で開催された「第7回教職(牧師・聖書科教師)研修セミナー」で行った講演原稿に加筆したものである。
とある。まだ最近のものと言うことだ。

新約聖書(福音書、パウロ書簡、黙示録、)文献に沿って「死生観」について概観したもので、ドイツ語、英語、日本語による研究文献を参照している。

その中にはN. T. Wrightのものは何も見当たらない。

あっさりとした概観の印象だが、「まとめと展望」の中に以下のような感想と言うか観察が加えられている。
現代の教会も教理としては,世の終わりにおける死者の復活の思想を維持しているが(使徒信条第三項やニカイア・コンスタンティノポリス信条第三項を参照),信徒が現実に持つ信仰において,終末の到来の切迫感や死者の復活の希望のリアリティは薄れ,死後は天に召され,他の召天者たちと共に神の御許で憩うイメージを漠然と抱いている場合が多いのではないだろうか。(強調は筆者)
少なくともこの観察は、ライトがSurprised By Hopeで指摘した、Going to heaven when you die、神学が日本でも踏襲されている、と言うことを傍証するものではないか。

2014年11月7日金曜日

Richard Hays's New Book

NTW endorses Richard B. Hays's new book,

Reading Backwards: Figural Christology and the Fourfold Gospel Witness 

The book site at Baylor University Press.

 


and this is NTW's comments:
"Twenty-five years ago Richard Hays launched a quiet but highly effective revolution on how Paul read Israel's scripture. Now he turns his attention to the four gospels, and we may confidently predict similar results. With his characteristic blend of biblical and literary scholarship, Hays opens new and striking vistas on texts we thought we knew--and, particularly, on the early church's remarkable belief in Jesus as the embodiment of Israel's God."
--N.T. Wright, Professor of New Testament and Early Christianity, University of St Andrews
日本のアマゾンでは4,288円。まだ予約受付中の段階。
 

 

2014年11月3日月曜日

FB読書会 2014年10月近況

先日メンバーの方が、どんどんウォールへの投稿が増えて行き、後から(遅れて)読もうとしても簡単じゃない、と言うコメント(ツイート)があった。

その時FB読書会2013年6月近況のような記事があれば助かる、とも書き加えてあった。

なるほどこの記事以降、同種のものは出していない。

と言うことで少し不定期になるかもしれないが、「遅れてくる人のための要約」っぽいものをば・・・。



実は「14章、Reshaping The Church For Mission (1) : Biblical Roots」に入ったのが、7月の頭だから、最近はなかなかペースダウンなのだ。

14章の「イントロ」担当の方が、ほぼ全訳してくれたので、一部を抜粋。
近頃ミッション重視の教会について語られるとき、必然的に、そして当然のことなのだが、そのほとんどが教会生活の実際的側面に関わることになる。たとえば、ミニストリーや教区の再構成や、私たちが召されている使命をよりよく進めるための働き方、などのように。・・・
その代わり、希望を中心に据えたミッション(a hope-shaped mission)に焦点を合わせ直した教会の、聖書的&霊的優先事項と思われる事柄を取り上げる。そうすることで、これからの教会にとって必要不可欠で重要な働きを補強したいと思う。それがないと、教会の働きは単なるプラグマティズム(実用主義)に陥りかねない。
ライトはイエスの復活に基盤を置く『新創造』と言うパラダイムから(つまり従来の「死んだら天国へ行く」式伝道からシフトする)宣教を再考しようとするので、実際論にすぐ入らないで(迂回して)、聖書的基盤を掘り下げる必要を解く。
伝道実践の前に、新しいパラダイムのもとでの宣教のための聖書と神学が必要だと言うこと。

イントロの次は新約聖書のうち、福音書と使徒の働きを取り上げる。
復活は、分水嶺のようなもので、復活がなければ、聖書の物語は未完のイスラエルが希望を混沌とした世界の中でも持ち続けることになる、エマオへの下向の二人が語るように悲劇でしかなかったのである。しかし、復活を認めれば聖書全体を見通せる話になる・・・。
全ての過去の約束が実現する、すなわちダビデの王権が立てられ、イスラエルが最大の流浪から帰還し、マタイ、ルカ、ヨハネでは明らかに示されているが、アブラハムの末によりすべての国民へ の祝福が実現した時点だったのだ。
イエスの復活は、聖書全体のストーリーが「新創造」に転じて行く「発射台」とライトはよく表現する。ここでは「分水嶺」のたとえで、物語が一気に動いて行く「成就と展開」のポイントであると指摘する。 

※福音書と使徒の働きの次に、パウロ書簡があるのだが、これはアクシデントでスキップしてしまった。

暑い夏もようやく終わり、9月に入る頃、「15章 Reshaping the Church for Mission(2): Living the Future」 、最終章に到達した。

15章のイントロは、『イースターを祝う』と言うこと。
 我々はもっとイースターを盛大に祝うために、新しい讃美歌や新しい芸術に取り組む必要があるのではないか。イースターの良い讃美歌は、初代教会時代からあるが、悪い讃美歌は19世紀に入ってからが大半である。新しい方法で、イースターを祝うべきなのではないか。
 ※ライトが言う「悪い讃美歌」とは、キリスト者の希望が死後「あの世」に行くことを歌詞としているもので沢山ある。讃美歌の歌詞については度々話題となった。


次のセクションは、Space, Time, Matter: Creation Redeemed

※「スペース・タイム・マター」とは、ライトが神が造られた「世界」に言及する時、対立する二元論的思惟を意識しながらより「コンクリート」に把握させようと用いられる表現のようだ。
 だとすれば、教会のミッションがまさに空間、時間、物質の世界において、またそれらの世界のために、刷新されるのであれば、その同じ世界を無視したり軽 視したりすることはできないだろう。むしろ、神の国のために、イエスのlordshipのために、そして御霊の力によって、それを自分たちのものとすべき である。そうして初めて、出て行って未来にのために働き、イエスが主であることを宣言し、その力によって変化をもたらすことができるようになるのだ。
とあるが、教会のミッションを(最大限)『文脈化』すると
 (1)「場所・空間」
 (2)「時間」
 (3)「物質」
における「刷新と再生」に関わることになる、との指摘。

このうち、(1)「場所・空間」に関して、"thin places"と呼ばれる場所の例を挙げながら、
老朽した教会が取り壊されたりといったことはあるが、長年祈りと礼拝に用いられてきたことで、聖別された場所というものは確かにあることが、今日多くの人 たちに認められている。そういう場所は、多くの人にとって、自然に祈れる場所、神がもっと自然と身近に感じられる場所になっている。場所や土地を手放して しまう前に、すべての被造物を新しくするという神の約束を思い出し、場所と空間についての適切な神学について、じっくりと考えるべきである。
と、老朽化した教会建物を簡単に解体しようとするような「宣教論」を牽制している。

次の、Resurrection and Mission、と言うセクションでは、最近福音派も「社会変革」や「社会正義」に取り組むようになってきているが、それよりははるかに広い視野で教会の取り組む「回復」のミニストリーの領域とポテンシャルを具体例を挙げながら描こうとしている。

※現在(10月末)はここまで進んでいる。残すところ18ページ。

この期間で、Surprised By Hope、以外で盛り上がった話題は、(Love Japanと言うイベントがあったことと関係するが)ジョン・パイパー牧師のこと。
※今から7年ほど前に「義認」について、ライトとパイパー牧師の間でその理解と位置づけに関し突っ込んだ応酬があり、それぞれが1冊ずつ本を書くまでとなった。


10月は色々あって、「第3回 N.T.ライト・セミナー」があったり、新メンバーが続々出たり、忙しかった。

と言ったところが、FB読書会の近況レポートです。

2014年10月17日金曜日

PFGに対する批判的な書評、アレクサンドラ・ブラウン

まだ本当に出たばっかりの書評だ。

ワシントン&リー大学宗教学部教授、アレクサンドラ・ブラウン

Paul and the Faithfulness of God (クリスチャン・センチュリー誌、2014年10月16日)

2014年10月9日木曜日

Recent European Philosophy's Turn to St. Paul

I mentioned Alain Badiou in this blog before (here and here).

I was just listening to this video below in which NTW discusses some of the recent and contemporary backgrounds of Pauline studies.

In relation to the Pauline Studies themes, Paul and Philosophy and Paul and Politics, NTW mentions some of the names of what I called Recent European Philosophy's Turn to St. Paul: Giorgio Agamben, Slavoj Žižek, (and of course) Alain Badiou, and Jacob Taubes.

Listen to what NTW has to say about why those philosophers are now turning to St. Paul (about 12 minutes into the video).