2016年4月2日土曜日

FB読書会 2016年3月近況

早くも一ヶ月が過ぎてしまいました。

2月からフォーマットを変えたので少しはすいすい行くかと思いきやさにあらず・・・。


第9章「神のいのちの息


179ページ

つまり、パウロが「受け継ぐことの保証」として聖霊を語っているときは、イエスがそうであったように、出エジプト全体の伝統を呼び起こしているのである。
[コメント] 新創造(New Creation)は(新創造によって古くなるはずの)世界を焼却処分して出現するのではなく、その世界の只中から(苦難と死をくぐり抜けて)出現する。
180-1ページ  
聖霊は、生きた神ご自身の不思議な人格的臨在であり、私たちを導き、案内し、忠告し、叱責し、その過ちを悲しみ、そして、私たちが真の受け継ぐべきものに少しでも近づくとき、祝ってくださる方なのである。
[コメント] 「ガイド」として叱責もし、また祝ってくれもする(両面ある)・・・ということを思いました。
181-2ページ
ある人やある場所が、他の人や場所よりも特別だとは思いたくない。それは、啓蒙[主義]思想後の西洋的な感性に反するからである。
 最初に汎神論者に出会ったときのことをよく覚えている。
183-4ページ
選択肢<2>のような仕方ですべてを見る人にとって、聖霊の臨在とその働きというのは、道徳的な知恵の目立たない成長とか、息の長い、ドラマ チックでない犠牲的奉仕の地道な活動などではなく、癒しや異言、劇的な回心とかといった特別は、「超自然」なことに追って起こるものだと理解する。
184-5ページ
「一致」と「きよさ」は、ここ最近の世代の教会が直面している二つの大きな問題である。

第10章「御霊によって生きる

186-7ページ 
 それにもかかわらず初代のクリスチャンは、とくに聖霊について語るときは、律法を満たす義務のことを絶えず語っている。もしあなたが聖霊によって導かれ、力を得ているなら、律法が禁じている殺人や姦淫、それに類することをしなくなる、とパウロは明言している。
 [コメント] ・・・「律法」を「満たす[fulfill]」とはどういうことか、どう理解したらいいか、という問題について解説しているところですね。
187-8ページ 
もう一度繰り返すが、律法に重点をおこくのは、古代の由緒ある便利な道徳的指針であるからではない。そうではなく、律法は神殿の様に天と地が出あう場の一 つだからである。それ故、、何人かのユダヤ人教師が指摘するように、トーラーを学び、守ることは、神殿で礼拝するのと同じようなものということになる。そ して初代のクリスチャンは、天が地と重なり合い、かみ合う場として自分たちが生活するようにと励まし合っている。
[コメント] ・・・隅谷三喜男先輩が『日本の信徒の「神学」』でご指摘になられた自分自身にもある二階建ての信仰「キリスト教の世界と普段の生活の世界が分離したような信仰」の在り方、生活の基礎としての天と地が重なり合い、かみ合うような信仰の問題を改めて問われたような気がしました。
188-9ページ 
 神殿と律法だけが聖霊によって満たされるのではない。神が世界で働くものとして、古代からユダヤ教で言われてきた、さらなる二つの手だてを思い起こしてほしい。神殿、律法、聖霊に加え、神のことばと神の知恵である。(189)
 臨在、トーラー、ことば、知恵、そして聖霊。それらは同じことを語る五つの手段である。イスラエルの神はイスラエルと世界の創造者であり、贖い主である。いにしえに立てたご自分の約束に忠実であるがゆえに、イスラエルとこの世界において働かれる。(129-130)

189-91ページ 
 ・・・この同じみことばが、よきおとずれ、「福音」、すなわちイエスはよみがえられた主、と宣告するメッセージとして、今その役割を果たしている。(191)
[コメント] 「神のことば」が世界に増え広げられ、実を結んでいる。・・・という展開が、「聖霊」と「ことば」が伴って「(新)創造」のわざを推進している、といういつものライトの大胆な「ビッグ・ピクチャー解釈」が見える感じです。
191-3ページ 
 「神のことば」が世界に増え広げられ、実を結んでいる。・・・という展開が、「聖霊」と「ことば」が伴って「(新)創造」のわざを推進している、といういつものライトの大胆な「ビッグ・ピクチャー解釈」が見える感じです。
[コメント] >真の人間としていきいきと生きていくために必要だからである。

この文章、この本を読んで、聖霊の意味が一番良くわかったテキストだったんです。つまり、本来の人間の創造の姿、神のかたちの本来作られた神に喜ばれる状態、を取り戻す、ってことをこのあたりで始めて理解したというか…
193-4ページ 
作られたものがそうありたいと全力を尽くし、切実にしたい求めている姿にされるためである。現在の世界の美はすべて、さらに極められ、高められて現在、その美を破壊しているものから自由にされる。
神は聖霊によって、神自身との新しい関係を私たちにもたらす。そして同時に、私たちの隣人との、そして創造されたすべて徒の新しい関係をもたらす。聖霊による人間のいのちの刷新は、傷つき、壊れた人間関係を修復し、癒す力を与えてくれる。
(中略)霊的なものの探求は今や、天と地が結ばれることを追い求めることになる。
 [コメント] しびれました。特に、前半の部分は、『神がつくられた「最高の私」になる』というオートバーグの主張と重なり合うものがありますし、これまで主にプロテスタント派の教会が軽視ないし迫害してきた美の問題を回復の概念の中からとらえ直そうとしている様です。

   

 フェイスブック・ライト読書会のメンバーであるO牧師が、船の右側(地引網出版)という雑誌に『
焚き火を囲んで聴く神の物語』を連載しているのですが、そこに色々ライト読書会のことも出てくるそうです。

 

3月の入会者数は1名、退会者3名で、トータル193名となりました。
 
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。

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