最近も「復活」については随時アップしているが、今朝また北米のジョン・パイパー牧師が何やら「埋葬」のやり方で「聖書的」「キリスト教的」と見解を述べているらしい記事があることを知った。
John Piper Makes Biblical Argument for Burial Over Cremation as It Relates to 'the Meaning and Importance for the Human Body'
『ジョン・パイパー、人間の身体的意義と重要さを考えると、火葬より土葬が聖書的であると主張』
パイパー自身の記事を読んでいるわけではないので(上記の記事にリンクがある)、あくまでこの記事にまとめられている議論を読んだだけだが、キリスト者は「火葬」より「土葬」を選ぶべき理由が何箇所かの聖書の解釈を通して提示されている(らしい)。
パイパーによると・・・
「土葬」は、人間の身体(遺体)に対して敬意を払っているが、
「火葬」は、火で遺体を焼き払う点で「嫌・身体」的だという。
キリスト教は「身体のよみがえり」を信ずるわけだから、その身体(遺体)の埋葬の仕方の点でも上記の相違を考えると、より「聖書的」「キリスト教的」な立場があるはずだ。それは「土葬」ということになる、ということらしい。
「復活の身体」がどんなものであるか・・・の議論と思弁は、おそらく「復活」の思想が顕在化してきたとき(第二神殿期ユダヤ教期)からあると思うが、キリスト教が特にユダヤ教以外の文化圏に浸透して行くにつれて様々に持ち上がったと思われる。
以下の動画でも言及されるが、教会教父時代、人肉食(カニバリズム)の文化背景を持つ信徒が、生前ある人が食べた(あるいは食べられた)人の「肉片」は、復活のときどのように扱われるのか、と云う問題で悩んだらしい。
復活信仰あってこその「復活の身体はいかに」と云う神学的疑問だから、それ自体は当然であるが(と思うが)、どのような思弁を用い、どのような現代的「実践(神学的適用)」を施すかは簡単な結論はないのではないかと思う。
新約聖書学での「終末論」の研究者としても名高い、Dale C. Allison Jr.が自らの(臨死まで行かない)近死体験を交えて「復活」「復活の身体」についてインタヴューに答えている。
・カニバリズム問題(5分30秒くらいから)と「思弁」は多様に拡散して行く。
・復活の身体で「消化器系」は必要か
・「免疫系」「生殖器」はどうか
・何歳の身体で復活するのか
・夭逝したばあいはどうか
(教会教父時代から近代・現代に移行すると科学的知見の問題が浮上する)
・分子レベルで解体した「身体痕」は原子レベルで「拡散」して分からなくなるが
・原子レベルではもはや「誰の身体だったか」はナンセンスでは
さらに現代は「葬式」のやり方に関してもかなり多様に考えるようになっている。
「終活」の前に考えたい 死の迎え方と送られ方 - 東嶋和子 (科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)(リンク)と云うわけで、パイパー牧師の「おすすめ」は一つの例と云うことになるだろう。
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