大雑把に言うと、アラム語話者のイエスの律法の教えを保存していたペテロや主の兄弟ヤコブらヘブライニストが主導したエルサレム教団がユダヤ戦争で消滅し、パウロらヘレニストのアンティオキア教団の律法蔑視の教えが後のキリスト教になったからです https://t.co/X4ijTjkbdt— 中田考 三日目・東ヘ31b (@HASSANKONAKATA) 2016年7月14日
そもそも福音書が成立するより前からパウロの書簡は教会で回覧されていたしね。特にプロテスタントはパウロ主義が強いので実質パウロ教だというのは事実には即しているが、一応教祖はイエスで神の子という建前なのでここまで言い切る者は少ない。 https://t.co/60Mw5mkSJp— 中田考 三日目・東ヘ31b (@HASSANKONAKATA) 2016年7月14日
一見して「宗教史学派」の「ヘブライスト対ヘレニスト」を踏襲した「大雑把」な物言いで、およそ(キリスト教青年部の人がイスラーム法学者から指摘されて)「なるほど」というほどのことはないと思うが・・・。
せめて、
(1)「パウロの『律法蔑視』」とはいかなるもので、どのようなロジックのもとにそのような「パウロ観」、そして「キリスト教(発達史)観」になって行ったのか、ということを検証するきっかけにしてはいかがだろう。
(2)「イエスが教祖」のキリスト教は「実質パウロ教、特にプロテスタントには」・・・のような「大まかな見取り図」をあたかも事実のように鵜呑みすることは、多大な新約聖書学・初期キリスト教学の研究成果を一切無視するようなもので、前途有為な「キリスト教青年」においてはそのような「知的逃避行動」は慎んで欲しいものだ。
※手始めに、ライトのWho Founded Christianity: Jesus or Paul?
あたりから読まれてはいかがでしょう。
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