2013年5月2日木曜日

天国が本当の「キリスト者の希望」なのか?

現在フェイスブック上のライト読書会(右コラムの『関連サイト』)では
SURPRISED BY HOPE
を読んでいます。

キリスト教会で現在一般に持たれている「天国観」は伝統的・正統的キリスト教の教えとは大分隔たりがあることを様々例証しながらライト教授はSURPRISED BY HOPEを書き進めています。

そのもっとも身近な一例として千の風になって(「大和郷にある教会」ブログ記事)が挙げられています。

と言うことでしばらく「天国」をキーワードにライト教授が書いた論文、インタヴュー記事、ビデオクリップなどを紹介して行きたいと思います。

今日はHeaven Is No Our Homeを紹介します。

"The traditional picture of people going to either heaven or hell as a one-stage, postmortem journey represents a serious distortion and diminution of the Christian hope."
このクリスチャニティー・トゥデー誌に寄稿された論文では、新約聖書の記者たちが一貫して「この世界」が神の救済・贖いの対象であり、キリスト者の希望である「からだのよみがえり」はその中心をなすものであることを代表的聖書箇所から説明していきます。

その中でも恐らく二つの聖書箇所に関する誤解(?)が影響が大きいのではないかと思います。

①ピリピ3章20節
わたしたちの国籍は天にある。
②ヨハネ福音書14章2節
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
①については、むしろその後に「・・・そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」とあるように、"Jesus will come from heaven in order to transform the present humble body into a glorious body like his own."と言っています。

②の聖書箇所はしばしばキリスト教葬儀で引用される箇所ですが、その場所はキリスト者にとって「終の棲家」ではなく、「からだのよみがえり」までの「(途中の)休息所」であることが言われています。

ご興味をもたれたらどうぞ記事の方をクリックしてお読みください。
前半2ページは関連聖書箇所の解説、後半2ページは聖書的な「死後のいのち」観による、宣教・キリスト者生活の建て直し、が述べられています。



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