その反省もあって現在読んでいるSurprised By Hope、ではボランティアで何人かの人に順番にやってもらっている。
さて、「6月近況」と言っても、ついここ2日間のディスカッションをルポ的に紹介してみよう。
現在、
*******************
*********************
これに対するOさんのコメント:
読みやすく、分かりやすく解説をいただき、ありがとうございます。リーダーの回答:
イエスは弟子たちに、三日後によみがえると伝えたと福音書に書いてありますが、文字通り三日とは受け取らなかった、ということですね。
Oさん、マルコ9:9など、たしかにイエスは生前から自分の復活を予告しています。ライトは学者たちの通説に反対し、この予告は後から福音作家が付け足したものではなく、イエス自身が語ったものだと主張しています。Oさんの感想:
しかしライトはそれを「復活」の予告というよりも、神が自分をVindication(「義認」と訳されることもあります)してくださる、つまり自分に帰せられた汚名を神御自身が振り払って、イエスの正しさを証明して下さる、とイエスが予告したのだと考えているようですね。自分が文字通り「復活」することについては、イエスは明確に説明することなく、謎めいたサジェスチョンを残しただけだったので、弟子たちはそれに気づかなかった、という風に説明されています。
なるほど。そういう理解ですね。この説をまだ全面的に受け入れられるかはわかりませんが、いろいろと考察してみたいです。ここでTさんが加わる:
Yさん(リーダー)、イエスの弟子たちがイエスの復活預言を聞いて、終わりの日の復活のことを言っていると思ったというのは、納得できます。そのように考えることはあまりなかったので・・・Oさんの感想:
そうすると、三日目とイエス様があえて明言したことに大きな意味があるのですね・・・
Oさん、このところはⅡマカバイ記7章を読んでみるともっとピンとくると思います。そこには終わりの日の復活の希望のゆえに雄々しく殉教の死を迎える様子が描かれています。(以下略)
Tさん、解説ありがとうございます。ふ〜ん、初めて聞く、新鮮な視点です。よく考えてみます。
ジグゾーパズルが、だんだんと全体像を浮き上がらせつつ、埋まってくるような感じですね。
Ⅱマカバイ記7章を初めて読みました。家族対するすごい残虐な拷問の場面でショックです。
この書は、たぶん当時のユダヤ人のローマ人に対するレジスタンス精神に影響を与えていたということですね。
この後リーダー、Oさん、TさんのⅡマカバイ記7章に始まる「外典」が余り読まれていない現状についての意見交換が続く。そして、
Oさんの感想:
いや〜、なんとも、素晴らしい。こういう背景がわかってくると、預言書とイエスの時代、イエスの生涯とメッセージが、立体的に立ち上がり、繋がってきて、「聖書の世界、読み方はこうだったんだ〜」と見えてきて、ワクワクしてきますね。
これまでの私にとって、預言書、小預言書は、あちこち素晴らしい御言葉が散りばめられているとはいえ、現実の信仰生活にあまり関係ない、あるいは妖しげな終末論に使われる、もやに隠れた遠景でしかなかったです。
と言う訳でこの読書会ならでは議論の深まりと、相互啓発が垣間見える面白いディスカッションが継続中。
読者の方、今からでもまだまだ間に合いますよ。ゆっくり読み進めていますから。
あなたもお仲間に入りませんか。
:
0 件のコメント:
コメントを投稿